ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

夏がくる

「コーヒー豆を買いにいこう」

思い立ちました。

休日、昼過ぎから始めた作業には終わりが見えず、いくら、ここのところ日が長くなってきたとはいえ、すっかり夜の帳が下りています。外はひっそりとして、ひとりきりの家の静けさに拍車をかけました。

これは、長い夜になりそうです。コーヒーでも飲まなければやってられません。でもいま我が家にはコーヒー豆がなく、しかしわたしは大人、車を運転できるのでした。部屋着にひっつめ髪だけれど、ダボっとしたシルエットのジャケットで隠して、鍵とケータイだけをポケットにつっこんで出かけます。

 

土曜日の午後8時、田舎町のスーパーは人がまばらで、誰もわたしに見向きもしません。コーヒー豆のコーナーでたっぷり10分、うんうん唸ってひとつ手に取り、そのままレジに行こうとして、その道のりにアイスコーナーがあるのに気づきました。周囲を見ると、サンダルを履いたひとや半袖を着たひとがいて、そこでわたしがアイスを2つ手に取ってしまうのも、必然のようでした。

鍵とケータイだけを持って家を出たので、エコバッグなんてありません。右手にコーヒー豆、左手にアイスを2つ持ってレジを抜け、自動ドアをくぐりぬけると、夜の風に乗せられてコーヒー豆の香りがしました。左手がひんやり、存在を主張します。

 

車を運転して、オレンジや黄や青の灯りの街を行きます。坂を登っていくとだんだん薄暗くなってきて、街灯がぽつぽつともる、そのちょうどひとつ袂に我が家があるのでした。

静かな夜、夜の中の住宅街、ふと見上げると星が空を覆っていて、鼻先を生暖かい風が撫でていきました。

もうじき、夏がくるでしょう。

タンポポと母の悲鳴

北海道の左上では、ようやく花々が太陽に向かって花弁を広げています。スイセン、チューリップ、ナノハナ、そしてタンポポ。この春に引っ越してきた、古い一軒家の広い庭にも、タンポポがあちらこちらで咲いています。もちろん植えた覚えなどありませんから、前の春にどこかから飛んできた種が根付いて、今年花を咲かせのでしょう。タンポポを見ると、母の悲鳴を思い出します。

 

幼いころ、3つ下の妹とともに外でおままごとをして遊びました。胴回りくらいある丸太を立ててテーブルにし、軽石を削って水で溶いて「みそ汁」、葉っぱを潰し漉して「お茶」。指先はすぐ自然の色に染められて、靴やズボンの裾は泥だらけ。母はたいそう苦労したことでしょう。でも、とやかく言わず遊ばせてくれました。

 

その日も妹と2人、おままごとの素材を探して野原の向こう、山の中ほどまでやってきました。手には、母のお古の鍋をもって。妹も外遊び用のカラフルな片手鍋を持っています。春の始まりはどこも若い緑で、摘み取ってしまうには忍びない気がします。見ると、紫や白や黄や桃色の花が、小さく顔をのぞかせていました。我が家の、母が手入れする庭はまだまだ新芽ばかりで色に乏しいけれど、山はすでに鮮やかな色をたたえているのでした。

うちの庭も、春の早いうちから鮮やかであれば良いと思いました。この山の植物を持ち帰ったら、寂しげな我が家の庭も、来春は賑やかなことでしょう。確信して、妹と2人、鍋を片手に山中歩きまわりました。

 

山から帰ったわたしと妹の満足気な表情を訝しんだ母が認めたのは、鍋いっぱいのタンポポの綿毛。悲鳴。タンポポは根を強く張って、他の植物を阻害してしまうらしいのです。

 

母に言いつけられて、遠くの空き地へ綿毛を捨てに行きました。淡い緑色の茎の穂先にまんまるにつく綿毛は愛らしいのに、鍋いっぱいに詰まった綿毛はぶつぶつごわごわして、なんだか恐ろしいかんじがしました。

 

今週のお題「何して遊んだ?」

充実した春

つぎは、ウドをもらいました。

山菜友だち(山菜を採ってきてくれる友だち、の意)が、フキに続いてくれたのはウド。スーパーなんかで白っぽいのを見かけたことはありますが、「ほい」と手渡されたのは、深い緑色に節がぼこっとして、触るとチクチクするくらい立派な毛がはえたウド。どうすれば…

「下処理わかる?」

「わかりません」

毎度即答で教えを乞うわたし。検索すればわかるだろうけど…と言いながら、丁寧に処理の仕方を教えてくださいました。

 

やってみましょう。

広口のフライパンにひたひたの水をいれ火にかけます。今回は、お塩を忘れないように。沸くのを待ちながら、ウドを先端と茎とに分け、先端のふさふさしたところは流水でよく洗います。これは、天ぷらにして食べるのです。フライパンの水がふつふつぐらぐらしてきたら、じゃぼんじゃぼんとウドを入れます。

一応インターネットで検索すると、皮を剥いて酢水にさらしてアクをとるだけでいいとありましたが、わたしの山菜友だちが茹でると言うので、茹でます。

2分くらいですぐ冷水にあけて、触れるくらいになったら、包丁を太いほうの茎に添わせ引きます。つう、と細いところまでひと息に剥けて、気持ちのいいこと。あんなに深い緑で毛を生やしていた茎は、剥いてみれば鮮やかな薄緑。酢水に浮かべて、次々につう、つう、つう。

「アクが強いから、数時間、酢水にさらさなければいけないよ」

山菜友だちからメッセージ。

でも、端っこのほうをちょっと削って口に入れてみると、程よい春の味。結局、30分ほど酢水に浮かべてから引き上げて、薄切りにして冷蔵庫にしまいました。明日、酢味噌和えにするのです。

 

フキノトウギョウジャニンニク、フキ、ウド…山菜友だちのおかげで、ずいぶん充実した春でした。夏はすぐそこ。

好きなひととわたし

「え、お姉ちゃん、それ、彼氏?」

妹が、わたしのホーム画面を見て低い声で一言。毎日目にして日常に溶けこんだホーム画面は、妹に言われてもなお、何のことやらピンときませんでした。え、わたし、彼氏なんていたっけ?

 

改めて見ると、ずいぶん前に好きなタレントさんと撮ったツーショット。たしかに、ルックスを売りにされている方ではないし頻繁にテレビ出演されるわけでもないので、ひと目では、一般男性との1枚に見えるでしょう。夜の暗がりで画質は粗く、マスクを取ることも忘れて満面の笑みのわたし。最高の1枚とは言い難いけれど、それはそれは大切に、ホーム画面に設定していました。

 

その日わたしは、彼の出演する地方イベントに行きました。チケットの販売が現地窓口のみで、当日券を期待して行ったらまさかの時間勘違い、開場時間10分すぎについたときには門前払いでした。片道2時間かけて行ったのに。諦めきれず駐車場で放心していたら、彼が、裏口から休憩に出てきたのです。思わずお声がけすると快く応えて、あまつさえ写真を撮ってくださったのでした。それをわたしは奇跡のように喜んで、幸運の象徴のようにホーム画面に設定していました。

 

春一番に咲いた桜のような、たまたま見つけた四葉のクローバーのような、ふと見上げた空に浮かぶ虹のような、そんな幸運を表情にして笑うわたし。その底抜けの笑顔が、なんともアホらしく、不思議と愛おしく、見ているとなんだか、大体のことはどうにかなるような気になりました。

自分の笑顔に元気づけられるなんて、可笑しな話。でも、ホーム画面の好きなひととわたしは、笑っています。

 

今週のお題「ホーム画面」

 

不思議なメッセージ

「一緒に行こうよ」

母にメッセージ。地元で開催されるトークイベントで、母とわたしが興味を寄せるテーマでした。

「この人が来るなら、あい、行きたいよね。いいよ、行こうか」

あら?

予想していた反応と違って、虚をつかれた気分。

 

母は、不思議なメッセージを送ってきます。

句読点を使わず改行ですませるし、他人行儀な敬語が主。一文が長く、日記のような文章を送ってくることもあります。「?」は「⤴︎」で代用されるのも不思議ポイント。でもどこか可愛らしく、わたしはそれらを指摘することなく見守っています。だからでしょうか、わたしが高校生のときに一緒に始めた「メール」は、主要なメッセージツールが「ライン」に変わった今も、不思議な文章のまま送られてきます。

 

ですから、今回のメッセージに

「えっ⁉️この人も来るの〜⤴︎

楽しみね

いこういこう」

くらい返ってくると思いました。随分とお行儀の良いメッセージは、わたしの出鼻をくじきました。

 

どうして母のテンションは上がらないのでしょう。

本当は行きたくないのでしょうか。

イベントに行くまでの興味はないのでしょうか。

娘と2人で出かけることは、嬉しくないでしょうか。

 

「あいに誘ってもらわなきゃ

こんな機会ないしね」

続くメッセージ。

母は、自らが楽しむことを控えているようでした。子ども優先で、時に過保護なほどわたしたちのことを想う母。何年か前、ワイヤレスイヤホンがほしいと言うので、どうせなら良いものをと1万円くらいのそれを選んでプレゼントしたら、断固として拒否されました。

「こんなに高価なもの、せっかくもらって失くしてしまったら悲しいから」

物を失くすなんて、几帳面でしっかりしている母に限ってあるわけないのに。

 

子どもたちが自立して、母自身が自由に動ける今、母はもっとやりたいことをやりたいようにやって良いのだと思います。だからせめて今回は、わたしがやりたいことをやりたいようにやって、「こうやるんだよ」と振る舞って見せようと思います。

おかあさん、おでかけ楽しみだね。

ふきの煮物、あまいかしょっぱいか

はじめてつくったフキの煮物が、しょっぱかった。

味見をしながら調味料を加えていたはずだし、味に納得したつもりで火を止めたけれど、冷まして器にあけてみると、しょっぱい気がしました。改めて見ると醤油の色が濃いし、味醂がてらっとしています。どうしてこうなってしまったのでしょう。

 

お手本は、母が毎年つくってくれたフキの煮物。

母は、地域密着の花屋みたいな野菜屋みたいなところで働いています。おじいちゃんやおばあちゃんが、お客さんのような散歩の休憩場所のような感覚で訪れては故意にしてくださるそうで、たまにお菓子やら惣菜やらをもらってきます。時期がくると、山で採ってきたフキをいただくこともあるのです。すると母は、面倒そうにしながらも丁寧に茹で、丁寧にスジをとり、丁寧に切りそろえて、丁寧に煮物にするのでした。

うっすら緑色がのこって、繊維が均等に煮えてシャキシャキして、ほんのり春らしい苦味が残るフキの煮物。わたしはそのなかで、たまに潜んでいるクタクタに煮えて味がしみしみになったフキばかりを選んで食べました。だから自分で作るフキの煮物は、全部そのフキにしてやろうと思いました。しっかり調味料をいれて、しっかり煮込んで、黒っぽいフキの煮物。自分好みのはずなのに、どこか失敗したフキの煮物。

 

あまくてしょっぱくて美味しいけれど、それは、春の味ではありません。山菜らしい苦味が調味料に埋もれてしまって、もはやフキでなくとも別の野菜で良い煮物です。母の味付けは、そのことをよく理解していたのでした。

クタクタしみしみのフキは、たまにあるから良い。

淡い緑色を楽しみながら、春らしい苦味の残る、母のフキの煮物が恋しくなりました。

SNS

ぴこ

スマホの通知で目を覚ましました。見ると、1回目のアラームが「俺はちゃんと鳴ったぞ」と主張するとともに、SNSのメッセージ通知。友だち追加したけれどついぞやりとりのなかった知り合いから「以前お好きだと伺ったバンドが、新聞に載っていましたよ」とのこと。

 

10年以上応援しているバンドが、新曲を発表しました。もちろん、その情報は2週間前にSNSでキャッチ。いっさいの情報を漏らすまいと、Twitterをチェックしています。

大学のはじめ頃にインストールしたTwitterですが、飽きてアンインストールして、でも彼らが主に情報発信するのはTwitterだったので、近ごろ再インストールしました。周囲に、同じく彼らを応援する友人がいないので、黙っていては情報が入ってこないのです。収録風景、音楽にかける想い、最近ハマっているもの。彼らが、同じ時間を音楽の側で生きているのだと思うと、胸がじんわりあたたかくなります。

ただ、情報は絶えず流れていて、小まめにチェックしないとタイムラインに埋もれてしまいます。朝起きたとき、移動のとき、昼休憩、夜家に帰ってから、布団の中で眠る前に、わたしはTwitterを開きます。大学時代にはそれが嫌でアンインストールしたというのに。

 

今回の新曲は、彼らの地元で撮影されたMVが話題となり、地方紙にも掲載されました。それも、Twitterで知りました。

その日。

「以前お好きだと伺ったバンドが、新聞に載っていましたよ」というメッセージを、異なる方々から合計3通いただきました。彼らの情報を漏らすまいと再インストールしたTwitterですが、そんなに小まめにチェックする必要も、ないのかもしれません。


www.youtube.com