ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

ふきの煮物

「あいちゃん、食べたいって言ってたから」

山菜友だち(山菜を採ってきてくれる友だち、の意)がほしいと公言していたら、本当にいただきました。山菜が採れる山は目と鼻の先にあるけれど、どんな山菜を、どれくらいが食べ頃で、どんな風に食べたらいいかなんてまったくの無知。おまけに、山菜と間違えて有毒植物を食べてしまったという事故例もあるので、恐ろしくて自分では採りにいけませんでした。

 

鰯釣りをしているからと指定された漁港へ向かうと、手渡されたのはコンビニ袋いっぱいのフキ。「食べ方わかる?」と訊かれたので「わかりません」と即答。すると、塩を加えた水を煮立たせて、さっと3分ほど茹でてすぐ冷まし、こうして筋を剥くんだよ、と袋からはみだした一本をとって剥いてみせてくれました。

 

やってみましょう。

広口のフライパンに水を注ぎます。フライパンは鍋と違って持ち手が一つしかありませんから、持ったときにバランスを崩さぬよう重さに気をつけねばなりません。ツマミをめいっぱいひねって最大火力。ふつふつと泡がたってきて、ぐらぐら表面が動いたら、ぱたぱたとフキをいれてすっかり浸かるよう慣らして、3分。タイマーが鳴ったらすぐに湯を捨て、湯気を掻き消すように水を浴びせます。水に浮かぶフキを一本とっては、教わったとおり太いほうから筋を辿って、引きます。つう、つう、つう。ようやくすべてを向き合えて、さくさくと5センチくらいに長さをそろえたら、さきほどのフライパンを軽く拭き、ごま油を熱してフキを入れ、酒、砂糖、みりん、醤油、仕上げにちょっぴり、ごま油。

 

フキの煮物の完成です。毎年母が作ってくれましたが、こんなに手のかかるものだったとは。そういえば、下茹での際に塩を加えるのを忘れました。まあ、ちょっぴりしょっぱい味付けだったので、良しとしましょう。

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サボっている

実家で眠って、夢を見ました。

わたしは学生で、懐かしい校舎にいました。友だちといて、でもその友だちの顔はぼやっとしてよくわかりません。ただ、彼女がわたしを冷たい目で見て、非難する言葉を発して、それを遠巻きに眺める人々の輪郭だけがはっきりしていました。学生時代のわたしなら悲しくなって俯いて、そのままことが過ぎるのを待っていたでしょう。でも、今、わたしは大人。彼女の言葉に言い返して、強く睨みました。すると彼女は心外そうに一瞬ひるんで、そして隣にいた子に耳打ちしました。2対1の構図になったのを遠巻きに見ていた人たちが認めて、わたしへ視線を集めます。それは、憐れみとか援助とかより「関わりたくない」という視線でした。

 

目を覚ましました。汗でぐっしょり。起き上がると身体が重くて、いち早くその不快感から逃れたくて、母と妹に話しました。妹に「何それ、本当にあったこと?」と訊かれました。

本当にあったことではありません。でも、学生時代に悩まされた全てを加えて、ドロドロに煮詰めたみたいなことでした。友人関係に悩まされた学生時代に眠っていたベッドだからでしょう。夢見の悪さで起きたのは久しぶりでした。

 

学生時代は、いつでもサボりたかったように思います。運動が苦手だし、勉強は好きでも嫌いでもないし、友人関係を上手くやれません。日曜日には「明日、学校いやだな」が口癖でした。

しかし、持ち前のクソ真面目でほぼ皆勤賞。この真面目さは「サボる」ことを許してくれません。わたしはきっと、いつかコイツに殺されるのだと思います。でも、コイツがいるから今のわたしがいるのだとも思います。

コイツと27年つきあって唯一習得したのは、コイツの目を掻い潜ってサボること。友人関係をサボる、やらなければならないことをサボる、「きちんとすること」をサボる。

良いのか悪いのか、わたしは今日もサボっています。

 

今週のお題「サボりたいこと」

人をダメにする実家

「あなたがそう言うから、こっちで空きアパートとか見てたのよ」

母が言いました。わたしが仕事を辞めると言ったとき、家族は意外なほどすんなり受け入れてくれました。心配はされたものの、体調不良とか人生に絶望してとかいった理由ではなかったので、まあ安心したのでしょう。それでも、仕事をしなければお金は出ていく一方です。父なんかは実家に帰ってくるものと思っていたようで、「こっちでシェアハウスする」と伝えると拍子抜けした表情でした。

「帰ってくればいいべや」

「光熱費も食費も家賃も安く済むのに」

まあ、そう。そうなんだけどね。

「わたしは、実家に帰ったらダメになってしまうから」

 

黙っていてもごはんが用意されて、冬は暖かく夏は涼しく、いつも誰かしらがいて話を聞いてくれて、犬と猫のもふもふがいる実家。お父さんとお酒を飲み、妹と遊びに出かけ、母と買い物へ行く実家。そこに身を置いては、わたしはダメになってしまうでしょう。

 

大型連休の前半は、実家に帰りました。母のパートやら妹の予定やらを聞いていたので家に1人の時間もあるだろうと、資格勉強のための資料とサークルの宿題を持ち帰ったのですが、それらは持ち帰ったときの姿のまま、荷を解かれることすらありませんでした。

 

北海道の左上に戻ってきて、その寒さに驚きました。冷蔵庫は空っぽで、家はがらんと静かです。せめてやらなければならないことをやろうと宿題から手をつけて、膨大に思われたそれらがいま、少しずつ片付いています。

 

用意されたごはんを食べ、暑すぎず寒すぎない快適な家に暮らし、悩みや相談事を聞いてもらい、犬と猫の腹に顔を埋める生活を送りたくないと言えば嘘です。でも、わたしはそれでは「ダメ」になってしまいます。わたしはわたしの意思で、この暮らしを選んでいます。

実家には、猫がいます。

元野良の彼はどっしりとした体格の黒猫。保護した当初、鼻炎気味ですぴすぴ鼻を鳴らしていましたが、今ではすっかり健康です。ぽっこりお腹に毛並みをツヤツヤさせ、一緒に暮らす犬をからかっては家族に叱られています。

 

わたしは猫派。

するりと横をすりぬけようとする猫を捕まえては胸に抱きこんで、しばらくしたら「にゃん」と鳴かれて逃げられます。それが可愛くて、でも嫌われるのはいやなので、1日2回を上限に機嫌をうかがいながらかまいます。

 

「ふにゅ」

腹に手を回して引き寄せると、まるで潰されたみたいな声をあげる猫。尻を腿に落ち着けて、腹と腕を囲い込んで、わたしが三角座りのかたちをとると猫は諦めたように穏やかです。しばらくそうしてじっとしていると、猫の身体が、ふう、と一回り大きくなるのを感じました。

すんすんすん、と鼻を膨らませ、耳をぴくぴく動かします。ビー玉みたいな目がきらきらして、視線の先では、母が裏口の扉を開けたところでした。まだ冷たい春の風が、わたしと猫を撫でていきました。

 

猫は、外を眺めるのが好き。元野良なので再び野良に戻りかねないと、外に出してやることはありませんが、網戸越しに外を眺める姿は好奇心のような哀愁のような羨望のような、なんとも言えない様子です。すんすんすん、と鼻を膨らませて、小さな身体いっぱいに空気を吸います。どんな小さな情報も漏らすまいと、耳をぴんとたて、目をきらきらさせています。

「にゃん」とも「にゅう」とも言わない彼が何を想っているのかはわかりません。ただわたしは嫌われるのがいやなので、「にぃやー」と彼が大きく鳴いたとき、黙って裏口の扉を開けてやるのです。

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女の答えは

本を貸してもらいました。プロレス好きの先輩が、プロレス好きのライターさんの新刊を読んでくれといって、貸してくださいました。

 

わたしは、プロレスが特別好きということではありません。その先輩の話を聞き、興味を持って見に行ったことはあるけれど、それ一度きりでした。だから「プロレス好きのライターさんが出した、女子プロレスラーにインタビューした本」より、「プロレス好きのライターさんが文章を書けなくなったとき、プロレス好きの編集さんに出会い、女子プロレスラーたちにインタビューしていくことで、再び書けるようになった本」と聞いたとき、断然興味がわきました。

 

「あなたにとって、強さとは?」

くりかえされる質問。女とは、幸せとは。わたしが悩む根源的なことを、著者であるライターさんも悩まれていました。そして、「感情で戦う」と言われる女子プロレスラーたちもまた、同じように悩んでいるのでした。

まっすぐに前を向いて、身体と心で体当たりする女子プロレスラーたちも、同じように女で、幸せを求めていて、そして一生懸命なのでした。

生い立ちや考え方、スタイルの違う彼女らのインタビューは三者三様で、そのたびに泣いてしまいました。覚悟や勇気、過剰に飾ることのない言葉に心動かされました。

 

インタビューを終えて本の後書きで、著者は「わたしはもう、大丈夫です」と書きました。編集さんと衝突して、インタビューの出来に一喜一憂して、女子プロレスラーに会いに仙台まで行った彼女のその言葉は、疑いようがありませんでした。

 

プロレスは、正直よくわかりません。

彼女たちのことは、この本で初めて知りました。

でも、女子プロレスを見てみたいと思いました。

 

 



 

 

犬とおばあちゃん

なんだかどうも、気乗りしない日でした。昨日の8時間講習会の疲れでしょうか、その後の、親よりも歳上の方との飲み会でしょうか、それとも、上手く暮らしを営めない自分への失望でしょうか。

朝起きたけれど日課のストレッチができず、時間だけがダラダラと過ぎていくので仕方なしにシャワーを浴び、好きなはずのお化粧ですがお休みにして、机の前に座る気力が湧かずベッドに潜り込んで、そんな自分にガッカリして、陽の光から逃げるように布団を頭まで引っ張り上げて目をつむりました。それでもバイトがあるので、家を出る時間の30分前に起き出して、髪を撫でつけアウターを羽織り、財布とケータイ、そしてお隣にまわすための回覧板だけ持って家を出ます。

 

すると。

おばあちゃんが、我が家の前の電柱の下で立ち止まっていました。足元には白い小さな犬がちょこちょこと、歩いたり止まったりしています。

「こんにちは」

今日のわたしは、あいさつさえ億劫。でも、2、3メートルほどの距離ですから無視もできません。

「こんにちは」

するとおばあちゃんも朗らかに返して、

「きょうはちょっと寒いわね」

と続けました。会話が続いたことに面食らって、でも無下にもできませんので、

「そうですね、風が冷たいですね」

と返します。すると、白い小さな犬が

「ワンワンワンワン」

とけたたましく鳴くのでした。

わたしは、おお、とも、うう、ともつかない声をあげて、宥めるように犬に声をかけて、するとおばあちゃんが

「これこれ、吠えちゃだめよ」

と言います。ちょっぴり、実家の黒い小さな犬を思い出して、おばあちゃんに笑いかけ、回覧板をお隣に持って行って、車に乗り込みました。

エンジンをかけ、シートベルトをし、発進するとおばあちゃんはまだ少し先を歩いていて、わたしが車で追い越すと、ニコニコと笑って手を振りました。

 

なんだか、わたしはまだ大丈夫な気がしました。

新しい家には、大きな窓があります。居間に設けられた、床から天井までの窓。そこからサンルームにつながるため明かりとりとしてはイマイチで、曇りの日なんかは照明をつけて生活しています。窓を背にソファが配置され、日中、作業するときはそこへ座ります。外を見るのは出かけるときくらい。家にいる時間が格段に増え、情報収集はネットとYouTube。必要なものは玄関の前に停めた車で買いに行くので、ドアtoドア。だから、気づきませんでした。

 

オンライン講習会に参加しました。午前中から始まる講習会だったけれど、なんせ我が家は日当たりが悪い。窓を向いて、顔になるべく明かりがあたるよう座ります。すると、大きくとられた窓と、その向こうに広がる庭、お隣の外壁が見えました。

8時間に及ぶ講習会は集中力がもたず、ぼんやりと視線をさまよわせると、窓の外に人影が動くのを見ました。お隣さんです。そういえば、お隣は家の奥に物置小屋があって、そちらへ行ったようでした。窓の外にも、暮らしがありました。家にいる時間が長く、一軒家が立ち並ぶ田舎の住宅街は静かなので、気づきませんでした。

 

手入れされていない庭のあちこちで、クロッカスが顔を出していたこと。

スイセンの蕾がふくらんで、今にも咲きそうなこと。

お隣さんが薄手の上着にスウェット、エプロンで外へ出ていたこと。

花とも野菜ともつかない植物の芽が、にょきにょき顔を出していたこと。

 

気づきませんでした。

春はもうやってきていて、わたしはすでに、そのなかで暮らしているのでした。