尊敬すべき
「そういうこと、言うもんじゃないよ」
母が語気を強めました。声を荒げたわけではないけれど、ぴしゃんと一言。わたしはそれ以上、言いませんでした。叱られました。こうして母に叱られるのはいつぶりでしょう。少なくとも、社会人になってからはなかったように思います。
妹が怪我で入院しています。
ずいぶん長いこと仕事を休んでいるし、入院するより以前から「辞めたい」が口癖だった妹。「これを機に仕事辞めたら」冗談めかして言うと、「わたしもそう思う」と笑った妹。その妹の話を、母と2人、していました。
「妹、仕事辞めたらいいのに」
わたしが言うと母は一言。
「辞めたいと思ったら、誰が何と言おうと辞めるんだから、当人以外が気安くそう言うもんじゃない」
そういえば、母はわたしがボロボロになって実家へ逃げだしてきたときも「なに食べたい?」とか「ゆっくり寝なさい」とは言っても、「やめて帰ってきなさい」とは言いませんでした。半分、その言葉を期待していたわたしにとって、なんだか肩透かしを食らった気分でした。帰り際、実家の玄関扉を押し開くその瞬間まで、その言葉を待っていたのですから。
それでも、あの時そう言われなくて良かったと、いま、思います。
もしあの時、「やめなさい」と母が言ったら、わたしはどうしていたでしょう。やめていたかもしれないし、やめていなかったかもしれません。でも、少なくともその決断は「母に後押しされた」結果であって、わたし自身が考えあぐねてだした決断とは言えないでしょう。
人は、決断しなければならないときに、しかるべき決断をします。
当人以外が関与すべきではありません。
わたしはずっと、母が決断に迫るひと声をかけてくれなかったあの時が、不思議でなりませんでした。時を経て、妹の話題のさなか、ぴしゃりと言われたその一言で、不思議がとけました。やっぱり母は、尊敬すべき母なのでした。