ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

鉄火丼

わたしは、じょうぶな子どもでした。入院するような怪我をしたことはないし、風邪もめったにひきません。ただ、1年で必ず体調を崩す時期があって、それさえ用心していれば健康なのでした。けれど、どだい無理な話。その時期は12月から2月にかけて、クリスマス正月おまけに誕生日が重なる、イベントマンスリーなのです。アルバムを見ると、クリスマスプレゼントに満面の笑みのわたし、お正月、祖父母に抱えられるわたし、誕生日ケーキのろうそくを吹き消すわたし、その額には、白い冷えピタが貼られているのでした。

 

滅多にひかない風邪は、1度発症すると少々やっかい。熱を出して、居間の隣の和室に寝かされました。母が時折りやってきて、体調はどうか、熱はどうかと顔をのぞきます。

 

「お昼だよ、なにか食べられる?」

 

母の問いかけに、病院でもらった解熱剤がきいてきたわたしは、「鉄火丼が食べたい」と答えました。どうしてそのとき、急に鉄火丼が食べたいと思ったのかはわかりません。ただ、病院の隣にはスーパーがあって、惣菜コーナーに並ぶ鉄火丼の味を思い出したのでした。

母は車を持っていません。家からスーパーまでは、歩くと30分ほど。いまなら、難しいリクエストだとわかります。

でも母は、ふむ、と頷いて顔を引っこめたのでした。

 

しばらくして。

揺り起こされたわたしの前には、豪奢な器にきらきら輝く鉄火丼。宅配寿司でした。

「奮発しちゃった」と笑う母。スーパーの、せいぜい600円程度の鉄火丼弁当を想像していたわたしは、厚い身にまったりとしたマグロの味に、面食らったのを覚えています。食べたかった鉄火丼の味ではありませんでした。けれど、真っ赤な顔で一生懸命、米と刺身を口に詰めこみました。

 

あれから15年ほど。わたしはこの時期も、風邪をひかなくなりました。

スーパーのお総菜コーナーで鉄火丼弁当を見つけて、あの時の母の顔がよぎったのでした。