ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

ノンフィクション作品

夏休みの宿題で読んだ伝記。

わたしは、ドリルやプリント、自由研究なんかがある夏休みの宿題のなかで、読書感想文が一等好きでした。ほかはからっきし。出されたプリントは答えを左側に置きながらこなしたし、自由研究は親の手を借りました。でも、読書感想文だけは好きで、夏休みが始まる前から本の候補を考えて、夏休みが終わる2週間くらいまでに大切に読み、何度も書き直して推敲を重ね、仕上げるのでした。それはまるで、大好物のショートケーキを味わいに味わい、おしまいに、残しておいたイチゴをぱくんと口に放り込むような、そんな感覚でした。

 

ある夏、読書感想文の本にマザー・テレサの伝記を選びました。ハードカバーの表紙には、優しく微笑む老齢の女性。彼女がマザー・テレサであることは想像に難くありません。

すごいなあ

すごいなあ

すごいなあ

そうしてすっかり読み終わったわたしは、頭を抱えました。「すごい」という感想しか湧かなかったのです。感情移入して泣くことも、情景を想像して笑うこともありません。ただただ「すごい」という感心がわたしを支配して、その年の読書感想文は大変苦労したのでした。

 

おそらく、当時のわたしは偉人マザー・テレサを1人の人間として想像できなかったのでしょう。経験や思考を重ねて、感情移入できなかったのでしょう。なぜなら、小学生のわたしに老齢の彼女の人生は、あまりに壮大で手を伸ばしても届かないものだったから。

 

当時の経験が根強く残っていたわたしは、伝記やエッセイをどこか遠巻きに見ていました。

けれど、久しぶりに手にとると。過去と今を生きたひとの言葉に笑い、涙し、共感します。人生を想像し、感情移入できます。その程度には、わたしも、過去と今を生き、笑い涙しながら生きてきたということでしょうか。そうであってほしいと願います。