ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

ドミトリーの夜

数年前におこったドミトリーブーム。低価格で泊まりたい宿泊客の需要と、手軽に開業できる供給が合致して、観光地を中心に爆発的にドミトリー型宿泊施設が増えました。「ゲストハウス」という新しい宿泊のあり方も注目され、インバウンドの流行とともに、宿泊客同士の交流がドミトリー型宿泊施設の特色とされました。わたしも、ゲストハウスでの国籍や出身の異なる人々との一期一会を期待した1人です。けれど、全ての宿泊施設でその特色が生かされているわけではありませんでした。「ゲストハウス」といえど、実態は「カプセルホテル」。所狭しと並んだカプセル型ベッドに、宿泊客はみな息を潜め、共有スペースですれ違ったとしても、言葉を交わすことはありません。わたしはすぐ、ドミトリーに交流を期待することをやめました。

 

だからその夜も、手を伸ばせば触れる距離に座る彼女に声をかけることが、随分ためらわれました。

まん延防止等重点措置が発令された街で、行き交うのは仕事帰りの帰路を足早に急ぐ地元の人ばかり。飲食店の明かりは落ちて、とっぷりと静かです。唯一、もくもくと湯気をもらしていた天心屋さんでテイクアウトして、ドミトリーのエレベーターを待っていると、同じ袋を下げた女性が後からやってきました。

ドミトリーのルールとして、居室での食事ができません。わたしがテイクアウトした袋を下げて共有スペースへ入ると、彼女も続いて入ってきて、わたしが1人がけの席に座ると、彼女も隣の1人がけ席に腰を下ろしました。

どちらから来られたんですか。

なに買われたんですか。

よければ、一緒に食べませんか。

ここが飲み屋のカウンターなら、躊躇なく話しかけていたでしょう。ウイルス禍になければ、もっと気楽だったかもしれません。いっそのこと、大人しくしているのが得策かも。でも、この一期一会を逃すとわたしはきっと後悔すると思いました。

「あの…」

こうして、期待したドミトリーの夜を得たのでした。