ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

勉強机

「勉強机、もう捨ててしまって構わないんでしょ」

母が言いました。

実家の狭い自室で、スペースの4分の1を占める勉強机(4分の2はベッド、のこりは通路)。たしかに、大学進学とともに家を出てからそこへ向かったことはなく、いつしか物置になり、椅子も取っ払われました。

「そうだね」

言ったものの、やはりそうでもない気がしました。

 

高校時代は勉強漬けでした。とはいえ真面目に勉強していたかといえばそうではなく、自分のレベルに見合わない高校に進学した結果成績がふるわずに、なんとか取り戻そうとするけれど勉強に対するモチベーションが高いわけではないので、惰性で机に向かって必要最低限の勉強をする毎日でした。夜はすっかり疲れてベッドに倒れ込み、朝の5時や4時に起き出して机に向かいました。まだ陽の昇らない朝の自室は肌寒く空気が澄んでいて、被っていた布団を腰にぐるぐる巻きにして勉強机に向かいました。デスクライトの明かりだけで勉強していると陽の光がじわじわと部屋のなかを侵食して、隅のほうまですっかり明るくしたころに家族の起き出す音がして、窓を開けると家々の隙間遠くのほうで、海がちらちら光っているのが見えました。

わたしは、その朝をよく覚えています。

 

勉強机で勉強をしなくなってから、肌寒く静かな朝も、デスクライトの明かりだけが照らした世界も、じわじわと忍び寄る朝の気配も、あの部屋のあの机だからこそ感じたものなのだと気付きました。もしかしたら、あの時、あの瞬間だからこそ感じたのかもしれません。いまあのときのように、朝の5時4時に起き出してノートを広げても、けしてあの、世界にただ1人きりのような朝に追われるような取り戻せない時間を浪費するような、孤独とも焦燥ともつかない感覚を味わうことはないでしょう。味わうことはないとわかっていながら、それでもやっぱり、勉強机を捨てられないのです。

 

今週のお題「デスクまわり」