月が綺麗だよ
「なんなに〜聞かせて〜!」
隣の部屋が、ワッと盛り上がりました。グラスに氷を足して、ウイスキーに炭酸水を注いで戻ると、室温が2度ほど上昇したような熱気。人の輪の空いたところに座ると、話題の中心は、みなが向けている視線でわかりました。
「久しぶりに、この人いいかもって思ったんだよね…」
思い出すように噛み締めるように、彼女はじっくりと言葉を選びます。ああ、マジだな、と瞬時にわかりました。
「どこの誰!?」
隣の彼女が語気を強めます。なんだよう、わたしが友人と拗れている話のときは、そんなに前のめりじゃなかったじゃんか。
「いや、でもほんと、もうどうしたらいいかわかんなくて…」
先ほどまで、職場がクソだやめてやると息巻いていた彼女はみる影もなく、しおらしげに下を向きます。まわりが声を大きくして煽り立てるのを、わたしも同じく囃しました。
やっぱりわたしたちもオンナノコ、色恋話には前傾姿勢。その日は結局、「誰が1番に結婚するか」という、20代後半女性にうってつけの話題をもってお開きとなりました。わたしは、満場一致で「遅いでしょう」とのご判断。しかも「結婚願望がある」と言うと驚きの表情を浮かべられました。異論はありません。だって、しおらしい彼女の様子は、自分と対極に座るその距離より、もっと遠いところに見えたのです。
帰り道。向こうの団地の隙間から、ぽっかり大きな月が覗いていました。団地を飲み込むのではないかというほど大きくて、真っ赤。月の模様が毛細血管のように浮かび上がっています。カメラを構えるけれど、技術が到底追いつかなくて、わたしが目で捉えるようには映りません。
「月が綺麗だよ」
誰かとこの美しさを共有したくて、ラインのトークルームを繰るけれど、友だちにも、家族にも、まして恋人なんて、この感動を一緒に受け止めてくれる人は思い当たらないのでした。言葉にし難い美しさ、写真に残せない儚さを同じ温度感で感じられる人。そういう人がほしいと思って、でもいないと諦めるのでした。わたしの結婚は、遅いでしょう。