ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

男と女

「女をしたい」

漫画家のヤチナツ先生がSNSで描いていました。「女をする」。女性らしさをアピールして、男性に(かわいいな)と思ってもらうこと。なにも、ちやほやされたいわけではないのです。あざといと言われたら、そうかもしれません。大袈裟にリアクションしたり、目を見てにっこり微笑んだり、それを受けて男性が(かわいいな)と思っているだろうことが感じられたら、成功です。女性らしさが認められたこと、きょうまでに作り上げたわたしなりの「かわいい」が、誰かに受け止められたことが嬉しいのです。コロナ禍に、その機会はめっきり減りました。

 

「女がしたい」

友だちに言ってみます。彼は数年来の男友だちです。わたしは、他人の言う「男女の友情」は信用していませんが、自分の「男女の友情」には絶対の信頼を置いている、へそ曲がりな人間です。

 

わたしの言葉に、彼は間髪入れず「わかる」と言いました。

「わかるって、なに」

「俺も、男がしたい」

「男がしたいって、なに」

口の端に笑いが隠せていないのは、腑抜けた会話をしている自覚があるから。

「女の子誘って、その誘いを受け入れられて、楽しくごはんとか行きたい」

ほう。

彼の言葉に嘘偽りがなければ、わたしたち「男」と「女」は、図らずも合理的な行動をとっています。男性から「かわいい」を認められたい女性的な欲求と、女性と楽しく時間を過ごしたい男性的な欲求。私利私欲のように見えて、需要と供給のバランスがとれた、落ち着くべくして落ち着いたかたち。

なんだか、ずいぶん傲慢で欲深に思えていた「女がしたい」気持ちだけれど、急にどうでもよくなりました。

 

「女がしたーい」

「男がしたいー」

わたしがふうとため息をついて、彼がはあと頬杖をつきます。歪なようで均整のとれた、安心な夜が過ぎていきました。