ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

終わること、始まること、選ぶこと

すべて納得したように、こんな文章を書きました。

hotohoto.hateblo.jp

 

「終わりよければすべてよし」とはよくいったもので、終わらせて始めてみてもなんとか無事に生きているのでこんなことが言えたけれど、やっぱり、選ぶことは痛い。痛いということを思い出しました。

 

「あいちゃんも、少ない時給で出勤してくるのは煩わしいでしょう?」

そんな理由で、来月のバイトのシフトが減りました。もともと再来月に試験を控えていたわたしは、今月決まった大口の仕事に安心すらして、シフトを減らしてもらおうと考えていました。なので2つ返事で

「はい」

とその減ったシフトを承諾しましたが、でもやっぱり、よく考えるとそんな簡単な話ではない気がします。

 

長く続けてきた仕事。少ない時給とはいえ、生活の主軸になっていたお給料。慣れた職場への愛着。いまの本業。作業時間と身体を休める時間。

 

考えれば考えるほど、「はい」と簡単に答えたあのときのわたしのことが、わからなくなってしまいました。

 

終わることがあり、始まることがありました。そしてそのぶんだけ、いえそれ以上に「選ぶこと」がありました。選ぶのは、大変なこと。これまでの自分をふりかえり、いまの自分とよく話し合い、これからの自分を想像すること。ときには、痛みをともなうこと。

終わらせて、始めて、納得のいく結果を手に入れたのも、すべては選んだわたしがいたからです。だから、終わらせたことと始めたことをふりかえって、得た結果に納得して満足していたけれど、もうひとつ。選んだ自分がいたことを、忘れないでおこうと思います。

 

今年が始まって3分の2が終わり、新しい挑戦を始めて6ヶ月が経ちました。終わることがあれば、始まることがあります。そのたびに、頭を抱えて深く悩んだ、「選ぶ」ことをしたわたしがいました。