ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

尊大な自尊心

わるいことがありました。いいことがあればわるいことがあります。

 

どうしてわるいことと思っているのかを考えます。お金を騙し取られたわけでも古くからの友人に裏切られたわけでも大好物を盗み食いされたわけでもありません。わたしはなにも失っていない。なのになぜ、こんなにも気持ちが落ち込んで、すべてがダメに感じられて、ベッドの上でずっと丸まっていたいような気持ちになっているのでしょう。

 

過去に一度だけ、鬱っぽくなったことがありました。さんさんと太陽が降り注ぐ居間のソファに寝そべっていました。起き上がれず、時計を確認するのも億劫で、ただひたすらに天井を眺めていました。道向こうの小学校のチャイムが鳴って、子どもたちのキャッキャッと高い声が聞こえてきてようやく身体を起こしました。リクルートスーツのスカートには、すっかりシワがついていました。

 

あの時も今も、わたしは何も失っていません。奪われていないし亡くしていません。でも、たしかに心のどこかで傷ついて、太陽のもとでも起き上がるのが億劫なほどのダメージを受けていたのでした。すべては尊大な自尊心のせいです。過剰なまでにふくらんで、自らを守ろうとする自尊心は「尊大」と言わざるをえません。

 

あれほど弾んでいた面接ののちに届いた不採用通知とか、顔色や言動を必死にうかがいながらの15分間とか、「ここまではわかります?」と幼稚園児のように繰り返し顔を覗きこまれる感覚とか。そういう違和感とか不快感が確実に心に蓄積して、わたしの尊大な自尊心をダメにするのでした。こんなにたいそうな自尊心を育んでいなければ、ふさぎこむこともなかったでしょう。すべてはわたしの意識のせい。よくよく考えれば言われたことはそれほど悪いことではないし、全体としてまだまだよくなるはずです。そこまで考えるとすべてがアホらしく思えてきました。よかった。こうしてわたしの自尊心は、きょうもぬくぬくと育っています。