ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

2022年、合格

落ちていたらどうしようと思いました。もし落ちていたら、わたしのこの1年はなんだったのだろうと思いました。

 

2022年が終わろうとしています。わたしは今年、いろいろなことを始めました。会社員を辞めて、フリーランスになりました。引っ越しを2回して、現在は日当たりサイアクワンルームに暮らしています。国家資格の勉強を始めて、休日の境がなくなりました。プライベートではあんなに好きだった旅行に1度も行っていません。観た映画の本数は、昨年の半分以下。コロナにかかって、お盆に墓参りができませんでした。家族には「いつでも帰っておいで」と言われながら、替えのきくバイトを理由にワンルームの部屋でうずくまっています。わたしは2022年、なにをしていたのでしょう?

 

いろいろなことを始めたけれど、そのぶん、いろいろなことができませんでした。始めたことが何かになったか、実を結んだかといえば、胸を張れるような結果にはなっていないと思います。そう考えると、なんだかもうすべてを投げだしたいような、2022年をどうして過ごしてきたのか、わたしの1年間はなんだったのかという気持ちになりました。自分で決めたことなのだから、自分で決着をつけるしかありません。でも、その踏ん切りすらもつけられないほど身体が重く億劫でした。その怠惰を自分でも理解していたから、誰にも相談できませんでした。朝起き上がることができなくて、その話をネタにして、笑いながら酒を飲みました。

 

でも、合格でした。今年受験した国家資格の試験結果。いろいろなことを始めた2022年。そのどれもが胸を張れる結果に結びいついているかといえばそうではないけれど、でも、ただ一つだけ、きちんと結果になっていました。またもう少し頑張れる気がしました。そんな2022年。

 

今週のお題ビフォーアフター

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

ひさしぶりに観た映画

映画を観ようと思いました。昨年は2週に1回、義務でも課されているかのように映画を観ていました。映画を観ない期間が続くと、突然ふっと、衝動に駆られるのです。その衝動に蓋をした結果、2022年は残すところあと数日。映画を観ようと思いました。

 

ひさしぶりに訪れたレンタルショップ。それほど広くない店内に、ゲームコーナーと家電コーナーとレンタルCD、レンタルコミック、ゲーム販売、その向こうにレンタルDVDコーナーがあります。しばらく来ないうちに映画コーナーは韓流ドラマとレンタルコミックによって圧縮されていました。以前目をつけていた新作DVDが旧作に降りてきているころかと思ったけれど、見当たりません。思えば、そのDVDがでていたのは夏ごろ、まだサンダルを履いていた時期。まあこんなに小さなレンタルショップ、ミニシアター系作品は新作発表期間が過ぎたらさっさと下ろされてしまうのでしょう。

 

近年、映像業界はサブスクリプションサービスが主流になりつつあります。たしかに、雪風吹きつける屋外に出たり返却期限を意識したりする必要のないサービスは便利。でもわたしが観たいミニシアター系作品は取扱外だったり追加料金が発生したりします。それに閲覧履歴によるオススメ作品や閲覧ランキングに左右されない、パッケージとタイトルによる直感的な出会いは、レンタルショップにこそあると思うのです。

 

人もまばらな田舎のレンタルショップ。店員はどこか気怠げで、高く立ち並ぶ棚の間をすり抜けるときわたしの存在に気づくと、ちょっと驚いたように歩くリズムを乱します。取扱作品数を大幅に減らしたレンタルショップで、たっぷり1時間をかけて5作品を選び、帰路につきました。午後9時。オールナイト映画の始まりです。

クリスマスの帰省

「クリスマスケーキ、1人一台あたるんだから」

離れて暮らす母。わたしが年末年始やお盆に帰省するのを楽しみにしてくれます。これまでは会社員をしていたので長い休みをとるのが難しかったけれど、いまは幸か不幸か暇があります。

「そうだねー…、今年はちょっと長く帰ろうかな」

言うと、母は嬉々としてこたえました。

「そうしなそうしな!クリスマスケーキも1人一台あるからね!」

まるで最大のセールスポイントのように主張されるクリスマスケーキ。実家では地元就職した妹が暮らしていて、共働きの父母も含めそれぞれが職場からケーキをもらってくるのでした。だから、全部で三台。プラス、妹にはお気に入りのケーキがあって、それを別注するのでクリスマスの実家にはケーキが四台。わたしが帰省して4人家族全員がそろえば、1人一台ケーキが食べられるというわけです。

 

でもわたしはれっきとした27歳。ケーキを一台まるごと食べる夢を見る子どもではないのです。ケーキが食べられるからといって実家に帰る期待値は特別変わらないのだけれど、でも母は、それをいえばわたしが嬉々として実家に帰ってくると考えているのでしょう。

「クリスマスケーキ、1人一台あたるんだから」

母のなかで、わたしはいくつになっても子どもなのです。

 

帰省して冷蔵庫を開けると、食べかけのチョコケーキが2台、生クリームケーキが1台。妹お気に入りの生クリームケーキはこれからやってくるようです。

「ケーキ、お姉ちゃんにあげてもいい?」

母が妹にお伺いをたてます。

「うちのケーキはみんな、妹が管理してるから。"食べちゃダメ"って言うことはないけど、勝手に食べると"食べたでしょ"って言われるからね。きいてから食べてね」

それは1人一台あたるとはいえないのでは…。

そんなことを思いながら、わたしはあたたかな実家で甘いケーキを頬張るのでした。

心の狭いわたしのはなし

「おもしろい話できるの?」

わたしの隣にどっかと陣取ったオジサンが、にやにやと言います。「まあ、ははあ…」とあいまいな愛想笑いを浮かべるわたし。

「少なくともテメエよりはマシな話ができます」

心の底でうそぶきながら。

 

飲み屋で働いていると、いろいろな人がやってきます。特にカウンターは多種多様。マスターが立つ焼き台の向こうでは、老若男女さまざまな人がご機嫌でグラスを傾けました。

わたしの業務は配膳と片付け。けれどホールが落ち着くと、マスターはわたしをそこへ座らせてお酒を飲ませます。マスターの空になったグラスを注ぐ係です。

 

わたしはお客ではありませんから、なるべくカウンターの雰囲気を壊さないよう大人しく飲みます。でもカウンターがそれほどうまらない日は、マスターがお客さんに話しかけるのにあわせてわたしも混ぜていただきます。すると、なんだか、なんだよと思うこともあるものです。

 

20代とあらば席を詰めようとしてくるオジサン。「彼氏いないの?ほんとに?」と口の端を釣り上げてきく年下のオトコ。男性の話はふんふんと耳を傾けるのに、わたしの声なんて聞こえていないように振る舞うオジイサン。「おもしろい話できるの?」と、さも楽しませてもらうことを前提としたオジサン。

 

まあたしかに、わたしも時間給で働いている居酒屋のアルバイターですから、なんだよと思いながらも愛想よく笑って、猫撫で声で、ちょっとボディタッチでもしてやればよいのかもしれません。しかしそれを求めるならば、時給1,000円じゃやってられないと思います。…たとえ就業時間内にお酒を飲ませてもらっていたとしても。

 

だからこれは、心の狭いわたしのはなし。素直にオンナノコとしての愛想を振りまけない、意地っ張りなオンナのはなしです。

時給1,000円の居酒屋バイト

「好きに飲んでください」

マスターが、厨房に顔半分だけをのぞかせて言います。お客さんが落ち着いたと見込んだのでしょう。残っていた洗い物を片付けて、水まわりを綺麗にしたら、ガラスケースからグラスを取りだし、まずはビール。カウンターにつくと「お、あいちゃん」と常連さんが話しかけてくれます。そんなわたしの、バイト風景。

 

今年度のはじめにフリーランスになってから、生計がなかなか安定しなくてアルバイトをしています。時給1,000円の焼き鳥屋。もとはお客として、多いときには週に1回とか2日連続とかで通っていた場所です。お酒を飲むようになって初めて1人飲みができるようになった場所でもあります。1人飲み、といってもマスターと話をしたくて飲みに来ているようなもの。

わたしがカウンターにつけば、マスターはドン、と空になったグラスをカウンター台にあげて、セルフサービスのサーバーからハイボールをそそがせます。「客にやらせるなよ」という話ではありますが、それはマスターが限られた常連さんにしかしない振る舞いで、はじめて自分の目の前に空になったグラスが差し出されたとき、わたしはこのお店に認められたような、マスターとの絆を深めたような気持ちになりました。

 

いまでは店員として働いています。18:00から出勤して、22:00や23:00まで。焼き場にマスターが1人で立ち、裏方から片付けまではすべてアルバイトが1人。このご時世ですから、飲食店のアルバイトより深夜のコンビニとかドラッグストアの品出しとかのほうが稼げるかもしれません。でもわたしは、このお店とマスターが好きでした。

「あいちゃん、ほら、日本酒飲みなよ!」

お客さんが引いてくれば、お酒も飲めるし。…そちらのほうが本音だろうと言われたら、否定はできないけれど。

朝のドライブ

朝です。

何度かの二度寝を繰り返した自覚はあります。冬の遅い日の出でも、日当たりサイアクワンルームでも、室内はすっかり明るい朝です。目覚ましでもない、日差しでもない、なぜ目を覚ましたのだろうと思っていると、どこかからごうんごうんと大きな音。飛び起きました。そうだ、きょうはゴミの収集日。時計を見ると、収集時間の2分前。

 

燃えるゴミ、生ゴミ、カン、ビンのゴミ袋をザッと集めて玄関ドアを開けると、ごうんごうんいっていたのは小型除雪機。アパートの除雪を請け負うおじさんがこちらを見ていて、慌ててフードをかぶって寝癖を隠してから、駐車場前に設置されたゴミ捨て場にゴミを放り込みました。ふりかえると、おじさんはちょうど我が家の玄関ドア前を除雪中。ちょっと考えてから、車に乗り込みエンジンをかけました。朝のドライブです。

 

わたしは在宅ワーカーなので、基本的に車は停めたまま。駐車スペースまできれいに除雪してもらうには、除雪おじさんの来訪をうかがって車を移動させなければいけません。いつもは近くの商店街の駐車場に停めたり、買い物がてら市内をまわったりして時間をつぶすけれど、きょうは起きて着の身着のまま。寝癖もなおっていなければ、家と車の鍵とケータイしか持ち合わせていません。市内をぐるっと一周したのち、隣町までドライブすることにしました。

 

白波が幾重にも重なって模様を描くのを横目に、海沿いの道を走ります。空はうっすらと雲がかかって、薄いところと濃いところで灰色のグラデーションをつくっていました。海は青みたいな緑みたいな色をして、でも、なんだか陽の光が明るく感じられました。

札幌ナンバーの乗用車や赤い軽自動車を乗せたキャリアカーが走って、社会は動いているのだと実感します。びゅんびゅん強い風に吹かれながら、道路工事のおじさんが赤い警棒をふっていて、小さな街の小さな家から顔を出したおばあちゃんが、通りがかりのおばちゃんと何やら話をしていました。

 

いつもなら、日当たりサイアクワンルームで起き出して、寒い寒いと腰に毛布を巻きつけて1人のそのそと仕事をする時間。わたしの見えないところは明るくて、しっかり機能しています。

お母さんが死んじゃったらどうしよう

映画を観て、思い出しました。映画を観ながらまったく別の映画を思い出すなんて、わたしもずいぶん映画好きだと思います。

 

「お母さんが死んじゃったらどうしよう」

そうだ、『となりのトトロ』のメイちゃんです。病気の母親を想い、それまで姉として張り巡らせていた緊張の系がふっとゆるみ、目に大粒の涙をいっぱいに浮かべて、クシャッと顔を歪ませた瞬間にぼろぼろと落とすのです。

 

わたしもかつてはメイちゃんとおなじ、母親の死を恐れる少女でした。「また明日ね」と言ってベッドにもぐりこむたびに、母親が明日の朝起きてこなかったらどうしようと考えて枕を濡らしたし、「また来ようね」と言えば母親との楽しい思い出が何度も繰り返されることを信じました。でも、いつのころからか、母親の死を受け入れて心の準備をするようになりました。していたつもりでした。

 

シングルマザーとして女手ひとつで育ててくれた母親が、突然知らされたガンによって急逝したのをきっかけに人生を狂わせるシェリル。「母が誇りに思ってくれた自分はどんなだったろう」

ひとりでひたすらに考えながら、1600キロの砂漠・森・雪山を歩きます。その姿が、ひとり旅をする自分と重なりました。そして

「お母さんが死んじゃったらどうしよう」

という、幼少期に置いてきたはずのわたしがチラチラと顔を覗かせます。

 

大丈夫なはずでした。死というものを理解しているつもりです。わたしはそれに対してなんの恐怖もありません。でもやっぱり、生まれたころから最も近くにいて、いつでも味方で、愛をそそがれて、愛を伝えられるひとはお母さんです。

「会いたい」

靴をなくしても雪に見舞われても決して弱音をはかなかったヒロインが、劇中で唯一涙を流します。わたしも一緒に、言葉にならない声をあげながら涙をぼたぼたこぼしました。

 

 

お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」