ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

しらないこと

しらないことって、まだまだいっぱいあるんだな。そうして、月に1度はしみじみします。まさに「しみじみ」が正しくて、新しい知識をゆっくり噛みしめて、脳にじんわり沁みこませるイメージ。今月は、「時計」でした。

 

新しい腕時計を買いました。

小さなころから、文字盤の見える時計に憧れていました。するすると動く秒針の向こうで、コチコチ揺れつづける金具、交わる歯車、金や銀の部品が、ごちゃごちゃしているようで整然と、持ち場を守って時を刻み続ける様子に心惹かれました。けれど、わたしの手の届く範囲にそのような精巧な時計はありませんでした。

 

でも、もう立派な大人。ほしいものは買うのです。文字盤の向こう、歯車まで美しい時計を手に入れました。すると、ひとつ困りごと。毎朝時計が止まるのです。昨夜、寝るまではするする動いていた秒針が、朝でかけに腕へつけると、すんなり止まっているのです。慌てて、長針をあわせたり前後をひっくり返したりするとおもむろに動きます。電池交換かな…それとも壊れているのかな…困りごとは、まずインターネット。「自動巻き時計」を知りました。

これまで雑貨屋で3000円程度の時計か、お高めの時計もプレゼントでもらう程度のわたしは、電池で動く「クォーツ時計」しか知りません。手にして、重みを感じて、ゼンマイの音を聞いて初めて、時計の世界の奥深さと美しさを感じました。

 

古代ギリシアの哲学者、ソクラテスは「無知の知」を主張しました。日々激論を交わし万物を説こうとする哲学者たちのなかで、ソクラテスは、自分自身が無知であることを知っている人間こそ賢い、無知であることを知れと言ったそうです。

これまで生きて、ある程度のことは知っているつもりでも、まだまだ得ていない知識が、新鮮な驚きが日々の暮らしに眠っています。自らの無知を認めながら、無知を楽しんで生きたいものです。

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