服の袖を通す
先日、文章を書いていて手が止まりました。
「服の袖を通す」
違和感。
服の?袖を?通す…袖を通す主語は「わたし」なのに、「わたしは服の袖を通す」とはなんだか…「わたしは ”ハンガーに” 服の袖を通す」ならまだ飲み込める気もします。
調べてみると、服「に」袖を通す、が正解。
「わたしは服の袖を通す」
「わたしは服に袖を通す」
なるほど。
辞書に載らないオノマトペ表現が好きです。個人が感じたままを伝えんとする独特の表現は、なんとも美しく感じられます。でも、正しい日本語のなかにあってこそのオノマトペ表現。とっちらかった文章のなかでは、文章全体のやかましさにオノマトペ表現が含むニュアンスが霞んでしまうでしょう。
また、正しい日本語を熟知してこそ、そこでより輝く表現としてのオノマトペが生まれるはずです。
画家、パブロ・ピカソは、三次元の世界を平面にとらえ二次元に展開するキュビズム手法を確立しました。遠近法の追及にとらわれていた当時の絵画界に革命をもたらした天才です。代表作「ゲルニカ」や、鮮やかな彩色の「泣く女」は、多くの方の記憶に焼き付いているでしょう。印象的な作風のピカソですが、15歳のデビュー作「科学と慈愛」は晩年の作品と大きく異なります。デッサン、構図、陰影すべてが緻密で、人の肌と毛布の布地、薄暗い部屋、冷たい壁の質感まで指の腹で触れるようにリアルです。
革新的な手法は、確実に積み上げられた基礎の上にこそ成り立つ。
絵画なり文章なり、何事にも基本を大切にしてこその革命であることを忘れずに邁進したいものです。