ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

よかった

乱視。角膜や水晶体の歪みのせいで、光の焦点が複数できてしまう状態です。焦点が一つに定まらないので、像がぼやけたり二重に見えたり、距離感がつかみづらかったりします。わたしは乱視なので、体育の授業でボールとの距離がうまく測れなかったり、雪の朝のまぶしさに目が眩んだりしていました。ふだんは眼鏡やコンタクトをしますが、どうにも疲れるので、目を使う必要のないときははずしています。

 

たとえば、飲み会が始まって30分もしたとき。

集まって、乾杯して、お酒を飲んで、酔っ払って、帰るだけ。もう、何を見る必要もありません。だからわたしは、乾杯をして30分たって、その日のメンバー全員と言葉を交わし顔と名前を頭に入れたら、さっさと眼鏡をはずします。

視力もたいそう悪いので、大丈夫?とか足元見えてる?とか心配されますが、酔っ払ってしまえば、見えていようがいまいが一緒でしょう。だから、お酒を飲んだわたしの帰り道は、乱視の世界。

 

足音ひとつが反響する住宅街。つい先日おろした春靴のヒールが、高らかになっています。頬を撫でる風はまだまだ冬の勢いをはらんでいるけれど、気温が高いので、生あたたかく感じられました。まばらな街頭がおぼろげに足元を照らして、見上げると、湾曲したあかりが夜道を彩っています。

これは最近しったことなのですが、乱視の人とそうでない人では、光の焦点の結び方が異なるので、ぼんやり丸く照らす照明も、乱視の人にとっては夜を切り裂く剣のように湾曲して見えるそうです。乱視が出始めた頃わたしは小学生で、夜道を1人、明かりを数えながら歩くことなどなかったので気づきませんでした。

 

街頭の白、信号の赤、青、黄色、点滅する青、月の生成色。鋭い光の切先が群青の夜を照らして、それはまさしく、酔っ払って夜道をひとり帰る、乱視のわたししか見ることのできない世界でした。

やっぱり、夜の街にくりだしてお酒を飲んで、よかった。