ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

公園の思い出

わたしが大学4年生になる頃、妹が大学1年生になりました。2人暮らしを始めました。わたしは卒論とバイトと就活で生活リズムなどあってないようなもの、妹は資格取得のために学校へ通っていたので朝早く家を出て日が暮れてから帰ってきます。生活がすれ違い、「ただいま」と帰宅してお互いの姿をみとめると「ああ、帰ってたんだ」と言いました。そのとき、わたしが居間のテレビでだらだらと映画なんかを見ながらお酒を飲んでいると、妹はちょっと眉を顰めてすぐ自分の部屋へ引っ込んでしまうので、わたしはいつしか、家でお酒を飲むのが嫌になりました。

 

バイトは、大学近くの居酒屋でした。開店から働いて終電まで、地下鉄の乗り換えがあるので、終電から終電への乗り換えはちょっぴりヒヤっとします。家の最寄り駅には24時間スーパーが併設されていて、人気のない駅前に煌々と明かりを放っていました。お酒を飲みたい気分。就活は思うようにいかないし、卒論は教授と折り合いが悪く、バイト先の店長は気分屋。でも、家に帰れば妹が、こんな遅くからお酒をあおるわたしを、軽蔑するような非難するような、そしてちょっぴり憐れむような目で見るのです。家には帰りたくない。スーパーに足が向いて2本ほどのストロング系缶チューハイと、お菓子を買っていました。家路を歩きながらタブを引いてゴクリ。あーあ、こんな姿、妹の目には入れられません。道の途中には小学校があって、職員室の明かりがついていました。そのまま行きすぎて、自分の家も行きすぎて、住宅街の小さな公園。腰掛けて、お酒を2本飲むまで、じっと座っていました。

 

その公園に、日中訪れたことはありません。わりあいに広く、わたしが座るところから反対側は闇に沈んでいました。だから、全貌は覚えていません。滑り台と砂場があったような、なかったような。街灯は、オレンジ色の灯りが3灯だけ。それだけを覚えています。

わたしの、公園の思い出です。

 

今週のお題「好きな公園」

続・右向きで寝るか、左向きで寝るか

「誰しも1つは不思議な話を持っている」とは、怖い話マイブームのさなかに出会った怪談師さんの言です。生きていれば大なり小なり、1つは不可解な出来事に遭遇していて、そういった体験談を聞かせてもらって語っているというお話でした。わたしにも不思議な話はポツポツありますが、どだい怪談師さんに提供できるようなものではなく、いつかわたしも「聞いてもらいたいお話が…」なんてコンタクトをとりたいような、とりたくないような気がしています。気がしていました。

 

先日、小学生の頃から背中を無防備にして眠れないという話をして、思い出しました。小学生の頃の不思議な話。どうして夜眠るのに、そんなこだわりを持つようになったかという話。

わたしは小学生の頃、眠りしなに、一つ目小僧を見たのです。

 

「おやすみなさい」

母が引き戸をすうっと閉めます。わたしと妹はあわてて「待って」と叫びました。

「もうちょっと開けておいて」

「こんなに開けたら眩しいでしょう」

「じゃああと10センチ、10センチだけ」

「しょうがない、5センチ」

そう言って、居間からの明かりが細く寝室に差しました。真っ暗な寝室。壁際に眠る妹、母の布団を開けて、わたし。窓際には父の布団が敷かれていて、当の父はまだ仕事から帰っていません。

まだ重くならない瞼を擦ります。静かな夜です。窓の外はすぐに隣家で、月の明かりや街灯が差し込むことはありません。目が慣れてくると天井の木目が見えて、まあこういう時は恐ろしい模様が見えだして怯えたりするものですが、わたしの視力では、そういった想像力が働くほど見えるものはありません。母が居間で机仕事をする、衣擦れや紙を繰る音が時折聞こえました。立ち上がる気配がすると、寝室に差す明かりが一瞬さっと遮られて、それだけが、この冷たい布団の上で感じられる変化でした。

どれだけそうしていたでしょう。隣で妹の小さな寝息が聞こえ始めます。

「寝たの…?」

そっと声をかけてみるけれど、返事はありません。いよいよ、ひとりぼっちです。さてどうしよう、今夜はずいぶん寝られないぞと天井を仰ぐと、さっと、視界が暗くなったのを感じました。戸口に目を向けると、戸に手をかけた人影があります。母でしょうか。いえ、母より背丈が低く、肩幅が狭く、頭だけがぽっかり大きいようです。その頭はまんまる、坊主頭で、逆光によくよく目を凝らすと、頭の中央に、ぎょろりと大きな目玉がひとつ。いたずらっぽく笑っているのがわかります。彼は戸にかけた手をぐっと引いて、その隙間を大きくしました。ちょうど、5センチほどでした。

家の中に見知らぬ誰かがいる。しかもそれは、漫画で見た一つ目小僧の風貌だ。妹にも知らせてやろうと、サッと向くが早いか、「こら」という声にわたしの身体はびくりと大きく跳ねました。母でした。

「まだ寝ていなかったの。しかも、戸、開けたでしょ」

母の顔は、居間の明かりの逆光になってよく見えません。でも、咎める視線を感じました。妹は母の声に起き出して、眠たい目を擦っているようでした。わたしが、毅然と言います。

「一つ目小僧が、戸を開けていった」

 

今この話を母にしても、「そんなこともあったかしら」と笑うだけです。きっと、子どもの寝言程度に忘れ去られているのでしょう。

けれど少しばかり感じやすい母は「あなたが小学生の頃に住んでいた家は、前の居住者の生き霊が出た」と言います。なんでも、家に未練があって、引っ越してわたし達家族が住み始めてもなお、前の居住者である奥さんの生き霊が帰ってきていたというのです。そんなことが現実に起こりうるのか、起こっていたとして、わたしが見た一つ目小僧が一体なんだったのか、答えは出ません。でも、たしかに、わたしたち家族がその家から引っ越した後、前の居住者であるご家族がその家に戻ってきて、今でもそこに住んでいます。

 

わたしが背中を無防備にして眠れない理由。それは、幼少期に見た一つ目小僧の影響でした。

美しい世界

「もしも英語が使えたら」

文章を読んで、文章を書くでしょう。

 

海外に憧れた時期がありました。留学するという先輩や、海外旅行に行くという友だちにとびきり羨望の眼差しを向けて、それでも、動くことはありませんでした。英語を学んで使う努力をしたら良かったのでしょうが、そうしなかったのは、高校時代の英語の先生が鬼のように恐ろしかったとか、わたしのプライドが高すぎて言語の壁を越えられなかったとか、いろいろ。美しい日本語の世界にはまっていたから、ということも挙げられます。

 

幼い頃に読書の魅力に気づいたわたしは、絵本から漫画、児童書、小説まで様々な日本語に触れました。

「雨」ひとつとっても「小雨」「霧雨」「涙雨」「五月雨」「黒雨」など、様々に表現される日本語。初めて出会う言葉でも、漢字や前後文のニュアンスから大体の意味を理解して「こんな表現もあるんだ」と落とし込む日本人に感服します。

日本語にはオノマトペ表現が多いというのも面白いところ。「おばあちゃんが作ったほとほとの煮物」と言われて、口の中にじんわり旨味が、胸がほっこり温かくなるでしょう。

そうさせる日本語を、わたしは生まれてから365日24時間使い続け、中学生くらいでようやく自信を持って発言できるようになり、それでもいまだに、辞書を引っ張り出してきます。そんな努力を、これから新言語習得のためにできるでしょうか。真面目に地道に、ひたむきな好奇心を持って、英語という言語と向き合えるでしょうか。きっと、できません。

 

もしも、生まれてから365日24時間使い続けたように流暢に英語を使うことができたなら。

きっと英語にも、日本語に負けないくらい美しい世界があるでしょう。わたしが今から手を伸ばしても、けして届くことのない世界。英語の見せてくれるその世界を、堪能したいと思います。

月が綺麗だよ

「なんなに〜聞かせて〜!」

隣の部屋が、ワッと盛り上がりました。グラスに氷を足して、ウイスキーに炭酸水を注いで戻ると、室温が2度ほど上昇したような熱気。人の輪の空いたところに座ると、話題の中心は、みなが向けている視線でわかりました。

「久しぶりに、この人いいかもって思ったんだよね…」

思い出すように噛み締めるように、彼女はじっくりと言葉を選びます。ああ、マジだな、と瞬時にわかりました。

「どこの誰!?」

隣の彼女が語気を強めます。なんだよう、わたしが友人と拗れている話のときは、そんなに前のめりじゃなかったじゃんか。

「いや、でもほんと、もうどうしたらいいかわかんなくて…」

先ほどまで、職場がクソだやめてやると息巻いていた彼女はみる影もなく、しおらしげに下を向きます。まわりが声を大きくして煽り立てるのを、わたしも同じく囃しました。

やっぱりわたしたちもオンナノコ、色恋話には前傾姿勢。その日は結局、「誰が1番に結婚するか」という、20代後半女性にうってつけの話題をもってお開きとなりました。わたしは、満場一致で「遅いでしょう」とのご判断。しかも「結婚願望がある」と言うと驚きの表情を浮かべられました。異論はありません。だって、しおらしい彼女の様子は、自分と対極に座るその距離より、もっと遠いところに見えたのです。

 

帰り道。向こうの団地の隙間から、ぽっかり大きな月が覗いていました。団地を飲み込むのではないかというほど大きくて、真っ赤。月の模様が毛細血管のように浮かび上がっています。カメラを構えるけれど、技術が到底追いつかなくて、わたしが目で捉えるようには映りません。

「月が綺麗だよ」

誰かとこの美しさを共有したくて、ラインのトークルームを繰るけれど、友だちにも、家族にも、まして恋人なんて、この感動を一緒に受け止めてくれる人は思い当たらないのでした。言葉にし難い美しさ、写真に残せない儚さを同じ温度感で感じられる人。そういう人がほしいと思って、でもいないと諦めるのでした。わたしの結婚は、遅いでしょう。

右向きで寝るか、左向きで寝るか

わたしは、壁に背を向けて眠ります。それは小学生の頃から染みついた癖のようなもので、6歳のころ、小学校にあがりたてのわたしは3つ下の妹と2人で眠っていました。居間の隣にある寝室で、妹、母、わたし、父の順に並べられた布団。父は仕事で帰りが遅く、母はわたしたちを寝かしつけると居間で家計簿をつけたり裁縫仕事をしたりしていました。居間につながる引き戸が少しだけ開いていて、明かりが漏れています。隣の部屋に母がいるという安心感はありますが、やはり、幼い妹と2人きり暗い部屋のなかで目を閉じるというのは、得体の知れない恐怖がありました。わたしは、壁際に眠る妹にそっと耳打ちしました。

「わたしはこっちを向いて眠るから、あなたはむこうを向いて寝て。お互いに見張りながら眠りましょう」

何から「見張る」のかはわかりません。とにかく、妹を壁に向かせ、わたしは父の布団が敷かれた暗闇、その向こうの窓をじっと睨み、妹と背中合わせに眠りました。

 

わたしが背中を無防備にして眠ることができないのは、その頃からです。必ず壁なり誰かなりに背を預け、部屋が見渡せるようにして目を閉じないと落ち着きません。

世には、眠る時の姿勢に個性が出るという人もいます。右向き、左向き、うつ伏せ、仰向け…わたしはベッドによって、正確にはベッドの配置によって姿勢が変わるので、その論においては仲間はずれをくうでしょう。

 

最近、引っ越しをしました。ベッドの配置が変わりました。

これまでは左向きに眠っていましたが、今の部屋は壁が左手にあり、右向きで眠らなければなりません。腰が捻れるような内臓の収まりが悪いような不思議な心地になりながら、それでもいつかは、右向きで眠ることに慣れるでしょう。引っ越しから早1ヶ月、安心して眠る夜はまだもう少し先です。

窓ガラスを割ってしまった

ぱちん

窓ガラスを割ってしまいました。部屋中に掃除機をかけてやろうとテーブルを持ち上げたら、その角が窓枠の内側にはまっている曇りガラスに当たって、割れました。あまりにあっけなく割れてしまったので、その断面を確認して、ガラス片をかたづけて、部屋中を綺麗に掃除機がけしてから部屋の真ん中に座り込んで

ぱちん

わたしのなかで張り詰めていた何かが、千切れてしまいました。

 

先月半ばに退職して、引っ越しをして、さてこれからお金はどうしよう、仕事はどうしようと考えていた矢先。人には考えるための許容量というものがあって、それを超えると、うーん、どうなるのでしょう。人によっては、弾け飛んでしまったりするのかもしれません。

窓ガラスなんてお金を出せば直せるし(ン万円とかかるそうだけれど)、退職は自分で決めたことだし、引っ越しは落ち着いたし、これからのことだって何も考えていないわけではありません。ただ、明確な対象が判らぬまま、言い知れぬ感情が涙になって、止める間もなく目から溢れ出てくるのでした。

こういうとき、いつも、母に電話をします。

「あら〜おドジちゃん!」

わたしだって、大人をはじめて7年目。「自分の機嫌は自分でとる」という大人ルールを理解しています。最近は、それもずいぶん上手くなってきました。

でもやっぱり、1年に1回くらい、自分の力ではどうにもすくい上げられない気分のどん底があるのです。そんなとき、母はわたしが思いもよらなかった方向から、ポジティブな言葉をくれます。わたしは毎度その言葉に救われて、子どものようにわんわん泣いて、そして次の日からまた、頑張るのです。

 

そういえば今月から、日本の成人年齢が引き下げになりました。ということは、わたしの大人歴は9年目…もっときちんと自立しなければと思う一方で、やっぱりわたしは「お母さんの子ども」なのです。

眠れない夜

「いや、その話きかせてください」

時計を見ると、日付が変わる30分前。彼女とわたしは画面越しに対峙して、かれこれ3時間半、話をしているということになります。アルコールが入るわけでなく、終始ワハハと馬鹿話をするわけでなく、3時間半。

 

ウイルス禍にオンラインがコミュニケーション主要ツールとなってから、わたしの周囲でも「オンライン飲み」というものが増えました。遠くに暮らす友だちと、時間や場所を気にせずに顔を合わせることができるので便利。とは思っていますが、わたしはあまり、オンライン飲みを好みません。

参加人数が増えるほど発言のタイミングが難しくなるし、微妙な空気感が伝わらないし、終電も閉店時間もないので終わり時がわかりません。それなら、パッと会ってサッと飲んでワハハと笑う、これまでの対面飲み会のほうがよっぽど気がラクで楽かったと思います。

オンライン飲みが終わるとき、いつも少し飲みすぎていて、「じゃあね、またね」と通話を切ったあと、事切れるようにパタリとその場で眠ってしまうのも嫌でした。オンラインという、近いようで遠い距離がもどかしく、そのもどかしさは解消されることなく、結果としてお酒をあおり誤魔化していたのでした。

 

でも、その夜は違いました。

時計など気にならず、お酒も飲まず、空になったマグカップをもてあそびながら、いつまでも話をしました。ついに日付がかわったとき、「そろそろ眠ろう」と通話を切って、さっさと顔を洗って歯を磨いてベッドに潜り込めばいいのに、なんだか胸がふわふわして、かと思えば頭はらんらんと冴えていて、きっと布団を頭までかぶっても眠れないだろうと思いました。さっきまでの賑やかさが嘘のようにしんとした部屋で、オレンジ色の照明を眺めながら、眠れない夜を噛みしめました。