赤の振袖
「どれでも好きなの選びなさい」
わたしの母は、三姉妹の長女です。中肉中背、田舎のお嬢ちゃんという風の母、そして、背が高くショートカットがよく似合う次女、パーマをあてたふわふわのロングヘアが可愛らしい三女の、三姉妹。彼女らは、それぞれに振袖を持っていました。赤地に大きく華やかな絵が入った長女の振袖、青地に細かな柄とラメが散りばめられた次女の振袖、黄色に桃や橙の花が鮮やかな三女の振袖。祖母の家で大事に保管されていたそれらは、孫娘の成人式で、再び日の目を見ることになりました。
3枚の振袖に、2本の帯、飾り帯は数え切れないほど。着物が趣味の祖母は、いつもより目尻をつりあげて、ああでもないこうでもないと、衣装箪笥を探ります。
「どれ、合わせてみなさいな」
一枚一枚着物をもちあげ、わたしの左の肩口から垂らします。
黄の振袖は可愛らしくて、20歳の成人式にぴったり。青の振袖は大人ぽくて、しゃんとした感じ。赤の振袖は、大きな柄が仰々しくて、あんまり好きではありませんでした。
「やっぱり、これがいいんじゃない」
けれど、祖母、母、おまけの妹と、満場一致で選ばれたのは、赤の振袖。
そしてわたしも、ひととおり自分の身体にあてがって、鏡に映った自分を見て、やはり、母が二十歳に着た赤の振袖が、最もしっくりくると思ったのでした。
田舎の祖母の家、ふだん入ることの少ない祖母の部屋、大きな姿見に映ったわたしが、窓から入る明かりに照らされて、きらきらしています。20数年前の母も、こんな感じだったのでしょうか。
「そうそう、お母さんの成人式の写真があるのよ」
「いいよお母さん!出さなくて!」
その真偽は、母の剣幕によって確かめられることはありませんでした。けれどきっと、そうなのでしょう。だってやっぱり、三姉妹の、三色の振袖のなかで、母の着た振袖が、1番わたしを輝かせたのですから。
降雪地帯
「おお」
1人の車内に、わたしの声。唸るエンジンとキュルキュルいうタイヤ音に消えていきます。空は真っ暗で、街灯と対向車のランプに照らされて、降る雪がちらちら見えました。正月休み最終日、道南の実家から、道北、北海道の左上へ帰る道のりのことです。
道南は、本当に北海道かと疑うほど、少ない降雪で冬を終えます。雪が降っても、日中の太陽と自動車の熱に溶かされて路面が見える道路。スムーズに車を走らせて海沿いの国道を行き、内陸に入って青やオレンジのランプがきらきらする空港を越えたころ、ようやく道路が白くなります。あっと思ったときには、白の壁。いつのまにか道はぐうと狭く、所によって対向車がすれ違うのもぎりぎり。道南で5日も過ごすと忘れてしまうけれど、やっぱりここは、降雪地帯・北海道です。
雪のわだちに取られるタイヤ、軽自動車ゆえダイレクトに伝わる振動、車高が低いため雪壁の合間から向こうを覗くのもひと苦労です。信号のある交差点だからって、油断はできません。青信号に遅れた対向車がないか、歩行者はいないか、恐る恐るハンドルをきると
「おお」
大型トラック。
わたしの軽自動車なんて、その右後輪ほどでしょう。左折した5メートル先で、トラックがハザードランプを点滅させて路肩に寄っていました。路肩、といっても、雪壁が高く厚く道路が狭まっているので、どこまでが路肩で、どこまでが左車線で、どこまでが右車線かなんて、わかりません。恐る恐るトラックを右から追い抜くと、また、わたしの口から声が漏れました。
トラックが、1台、2台、3台、4台、5台、6台…街灯に浮かぶ黄色、青、緑の車体。グルルと唸るエンジン、キュルキュル鳴るタイヤ、オレンジのハザードランプをちかちかさせた列が、路肩の雪壁を崩して、雪捨て場へ運んでいきます。冬の夜、やっぱりここは、降雪地帯。
父と娘
「休みが1ヶ月あればいいのに」
お正月休み最終日、父と娘2人きり。
居間にだらりと寝転んで、お酒をちびりちびり。テレビは、父の好きな地方局の深夜番組を録画したものです。再放送だから何度も見ているはずなのに、「ちょっとトイレ」とか「酒がなくなった」とか言って立つたびに、父はしっかり一時停止します。少しでも見逃そうものなら、わたしのことはお構いなしに巻き戻し。
そういえば昔、アニメを見ながら、1秒たりとも見逃すまいと細かくリモコン操作をするわたしに、「もう何度も見てるでしょ…」とあきれ顔をした母を思い出しました。この親にして、このわたしあり。
「正月休み、1週間は短いね」
「1ヶ月、ちょうどいいな」
社会人になって5回目のお正月を迎える娘に、35回目の父が返します。
離れて暮らすと、実家に帰ることが年々少なくなって、正月、お盆に、特別な用事を加えても年に4、5回ほど。けれどどうして、実家というものは落ち着きます。わたしを溶かすようにすべてを放棄させ、それすらも受け入れ許される感覚。いつも罪悪感のある「真昼間からお酒」も、実家なら、ほら、もう2本目。
けれど明日から、わたしにはわたしの、父には父の仕事が待っています。
「だるいね~」
「だるいな~」
ごくり、お酒をあおって、日常に戻る心の準備。
そうして迎えた正月明けは、なんだか身体が重たくて、朝起きるのも、1日分の仕事をこなすのも、文章を書くのだってひと苦労。正月以前は当たり前にこなしていたことがどうしてもできなくて、ようやくその調子を取り戻したのは、休みが明けて1週間が経過した頃でした。1週間の正月休みに、1週間のインターバル。わたしたち親子は1ヶ月の正月休みを所望していたけれど、休み明けには同じように、こうしてだるい1ヶ月のインターバルがあるのでしょうか。だるいね~。
そういうことなら、正月休みは1週間で十分かもしれません。
あけましておめでとうございます
実家にいます。1年のうち、お盆とお正月に加えて、2、3度ほどしか帰らない実家。自室はすっかり物置になって、家族の生活リズムはさっぱりわからず、知らないうちにペットという家族が増えた実家。わたしも、8年前まではここで365日を過ごしていたというのに、なんだか不思議なかんじです。
実家は、いつでも暖房がきいて暖かく、いつでも何かしらの食べ物があって、いつでも誰かしらがいます。
わたしは、お正月という年中行事が相まって、陽がすっかり昇ったころに起きだし、明るいうちからお酒を飲み、何をもなさずにベッドにもぐります。それでも、誰も何も言いません。
それは、1LDKの部屋で過ごす1人の休日も同じです。わたしが何をして、何をなさずとも、誰も何も言いません。言う人はいません。だからこそ、「誰か」がいるというだけで、こんなにも違います。
わたしが
陽がすっかり昇ったころに起きだすと
「みんなすっかり起きてるよ」
と笑い、
わたしが明るいうちからお酒を飲みだすと
「俺が若いころもそうだった」
と一緒になってプルタブを引き、
わたしが何もなさずにベッドにもぐると
「おやすみ、良い夢を」
と言う声があります。
そういう人がいる実家は、わたしの暮らしをこんなにも変えてしまいます。
わたしが今も実家に暮らしていたら、今このわたしは存在していないでしょう。だからこそ、この「実家」という場所は、わたしにとってこんなにも尊く、こんなにも毒なのです。
これだ
ポコン
「これだ」
ラインが入りました。3文字のメッセージとともに、新聞のリンク。ひらいてみると、オリジナルグッズの売上を元手に発行される、地域情報フリーペーパーの話題。道東の記事でした。
「ほう」
「フリーペーパー、やりたいですね。」
「問題は資金面…オリジナルグッズづくりは…」
返信をしたところで気づきました。そもそも彼は、送ってきた新聞記事のどの部分を指して「これだ」と言っているのでしょう。勝手な解釈で返信したけれど、果たして、彼の意図をしっかり受け取められているのでしょうか。
「ごめんなさい、先走って返信しちゃったけど、そもそもこの記事のどこに「これだ」って言ってます?笑」
3分遅れで、付け足しのメッセージ。
するとしばらくして
ポコン
「「これだ」に深い意味はないけど、広告なしのフリーペーパーやりたいなって」
わたしたちは、いつもこう。
深い意味はない。
やりたいっていう気持ちがあればいい。
誰も予想しなかった2020年、わたしたちは、北海道の左上でイベントを企画しました。誰もやったことのない、わたしたちにしかできないイベント。2020年1月1日のわたしは、このイベントを予想していませんでした。
ひたすらにがむしゃらに、コロコロと坂道を転がるように動きました。やりたいという気持ちひとつのわたしたちは、夢中で転がって、時には石ころに阻まれ、時には窪みに落ちながら、それでもなお「楽しい」という気持ちを原動力に転がりつづけてきたのです。いまもまだ、止まりません。
年の瀬。
仕事納めだの大掃除だの、1年を片付けようとする流れをぶった切って届いた、一言のメッセージ。わたしたちの「やりたい」は、「楽しい」をともなって、すでに2021年を動いています。
学ぶ生き物
人は学ぶ生き物です。
挑戦して修正してまた挑戦して、課題解決のために考え、学びを重ねる生き物です。
今年、北海道の左上の根雪は11月初旬でした。根雪とは、降っては融け降っては融けする冬のはじめの雪が、ようやく積もりはじめる「始まりの雪」のこと。いくら寒かろうと霜がふろうと、雪国では、根雪がくるまで「冬本番」とは言えないのです。
わたしも、初雪の日にようやく「冬の気配」を感じました。衣替えをすっかりすませ、冬物のコートをしっかり着込んでいるというのに、足元は春夏に履きつぶしたパンプス。さすがにこの靴で、北海道の左上の冬を越せません。靴屋さんへ行って、今年の冬靴を選びました。
例年よりシンプルなデザイン。5センチの控えめなヒールに、黒のビロード、ゴールドのバングルが足首をしめて、そのすぐ上でストンとカットされたショートブーツです。ロングコートからのびる足、その先でてらてらする新しい靴に、心躍りました。
けれど、12月下旬。北海道の左上は積雪60センチ超え。もうすぐ70センチに達します。朝起きれば雪かき、外勤しようものなら雪かき、帰宅しようにも雪かき。黒のショートブーツはすっかり真っ白、足口からガバガバに入る雪が、爪先を凍えさせます。
人は、学ぶ生き物です。
わたしは、学びました。
この靴は、毎日雪かきをせねばならず、常に雪を漕いで歩くことを強いられた、雪国暮らしの女性向けには作られていないのです。道は除雪され、通勤は電車、1日のほとんどを屋内でやりきれる女性こそが、このビロードをてらてらさせ、このヒールをならし、胸を張って街を歩くことができるのです。
だからわたしは、明日から長靴を履くことにします。
そうして人は学ぶのです。お洒落よりも、生き抜くことこそ、人の根底課題です。
わたし、雪女なんですよね
昨夜から、北海道の左上に発令されている暴風雪警報。たしかに、一晩中ごうごうと強い音が木造のアパートを揺らしていました。
朝起きてみると、道は綺麗。東の空はオレンジと紫でへんに明るくなっています。なんだ、車の雪下ろしが難航するとみて早めに支度を済ませたけれど、杞憂だったかな。そうして駐車場へ行って、がっかり。強い風にふきだまりができて、わたしの車の、しかも運転席ドアの周辺に、ふくらはぎの中ほどまではあろうかという雪山ができていました。
今年買ったショートブーツは失敗。シンプルなデザインが美しいと思ったけれど、丈が短すぎて雪が入りたい放題です。捨て身の覚悟で雪をかきわけ、運転席へ。少し車を移動させて、なるべく風のあたらないところで窓やミラーにこびりついた雪を落とします。
びうう
ごおお
その間も容赦なく風が吹きつけて、髪もスカートもみんな攫われます。取り返している暇はありません。暴風雪警報のなかで、身だしなみなんてものはないのです。特に、遅刻がかかった朝の出勤時には。
ようやく車を出発させると、遠くで「排雪中」の旗がバタバタしているのが見えました。嫌な予感。
雪が道幅を狭くするため、路肩の雪山を乗せて運び去る排雪車。大型トラックで行われる作業は、片側一車線通行、もしくは通行止めになります。なにも、朝の出勤時間にやらなくてもいいじゃん。
やっとの思いで職場にたどりつくと、ドア前には、またふきだまり。勘弁してくれ。
「わたし、雪女なんですよね」
先日、はじめて「雪女」を自称する子に会いました。「雨女」や「晴れ女」ならわかるけれど、雪を降らせる「雪女」。さすが、びうと風が吹き、ごうと雪が降る北海道の左上です。
でも、願わくばそんな女おらずとも良いと思いながら、仕事終わりに帰りついた駐車場の雪かきをするのでした。