父と娘
「休みが1ヶ月あればいいのに」
お正月休み最終日、父と娘2人きり。
居間にだらりと寝転んで、お酒をちびりちびり。テレビは、父の好きな地方局の深夜番組を録画したものです。再放送だから何度も見ているはずなのに、「ちょっとトイレ」とか「酒がなくなった」とか言って立つたびに、父はしっかり一時停止します。少しでも見逃そうものなら、わたしのことはお構いなしに巻き戻し。
そういえば昔、アニメを見ながら、1秒たりとも見逃すまいと細かくリモコン操作をするわたしに、「もう何度も見てるでしょ…」とあきれ顔をした母を思い出しました。この親にして、このわたしあり。
「正月休み、1週間は短いね」
「1ヶ月、ちょうどいいな」
社会人になって5回目のお正月を迎える娘に、35回目の父が返します。
離れて暮らすと、実家に帰ることが年々少なくなって、正月、お盆に、特別な用事を加えても年に4、5回ほど。けれどどうして、実家というものは落ち着きます。わたしを溶かすようにすべてを放棄させ、それすらも受け入れ許される感覚。いつも罪悪感のある「真昼間からお酒」も、実家なら、ほら、もう2本目。
けれど明日から、わたしにはわたしの、父には父の仕事が待っています。
「だるいね~」
「だるいな~」
ごくり、お酒をあおって、日常に戻る心の準備。
そうして迎えた正月明けは、なんだか身体が重たくて、朝起きるのも、1日分の仕事をこなすのも、文章を書くのだってひと苦労。正月以前は当たり前にこなしていたことがどうしてもできなくて、ようやくその調子を取り戻したのは、休みが明けて1週間が経過した頃でした。1週間の正月休みに、1週間のインターバル。わたしたち親子は1ヶ月の正月休みを所望していたけれど、休み明けには同じように、こうしてだるい1ヶ月のインターバルがあるのでしょうか。だるいね~。
そういうことなら、正月休みは1週間で十分かもしれません。