ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

きらきらのお砂糖

どうしても、パンを食べたくなることがあります。

パンについて語らせたら、仲のよい友だちもちょっとひきつった笑いを浮かべるほど、パンに対する熱量は高めです。どうしてもどうしても、パンがたべたい。それが、きのうのお昼でした。

 

昼すぎに用事を終えて、ランチを思い浮かべながら帰路につきます。帰れば冷凍のごはんがあるし、おかずもいくらか作り置きしています。けれどそのとき「おはぎ有ります」ののぼりをなびかせるパン屋さんが目に留まったのです。パンが食べたい。その衝動が抑えられませんでした。

 

「いらっしゃいませ」

緑色に塗られた木製扉を開けると、ふくよかな女性がレジの向こうで言いました。まだ13:00すぎだというのに、残るパンは数個ずつ。でもわたしはパン好きです。限られた種類のなかで悩みます。「おはぎ有ります」の旗をあげるくらいだから、餡子が美味しいに違いありません。マロンブレッドは季節を感じられてよいけれど、その隣の白花豆ブレッドもつやつやして美味しそう。4種のチーズピザは新発売のポップで彩られ、その隣でぽっかり口を開けるコロッケサンドが食欲をそそりました。冷蔵ケースには一口大のドーナツや、チョコレートコーティングが美しいチョコエクレア。クリームチーズとチキンのベーグルサンドの断面も綺麗です。

 

悩んだ末にトングで持ち上げたのは、こし餡ドーナツ。まんまる狐色のドーナツにお砂糖がまぶしてあります。さらさらではない、粒の大きなグラニュー糖。それが、窓から差し込む昼下がりのうららかな陽のひかりを反射して、きらきらしました。大正解の選択を確信しました。

出張だけど旅

「JRまで少し時間がある」

朝イチでランドマークになっている建物を見て、お土産を買って、市場を見て、駅前のコワーキングスペースで休憩がてらに仕事をしながら時刻表を確認しました。平日なのですれ違う人の姿はスーツや制服が目立ちます。お土産屋さんも、スーツケースといっしょでも歩きやすい程度には人がまばらで、なんだか後ろめたい気持ちと単純に仕事が山積みだったのでコワーキングスペースを利用しました。弁護士さんが個室を使って、しきりに電話をしています。これって守秘義務とかどうなっているのかしら。なんだか、自分に関係のない電話の声が、オフィスワークをしていたころを思い出させました。あの環境を辞めてから半年が経過しています。

 

コワーキングスペースを出ると、暖かいような涼しいような陽気。太陽は出ていたので、日焼け止めを塗ってきて正解でした。向かったのは、駅前通りにある古書店。店前まで来ると、行きがけの大雨のなか、軒先で電話をさせてもらったお店だとわかりました。

 

本当にバタバタの出張でした。電車の乗り間違えとわたしのうっかりミス。どうしても諦めきれずトンボ帰りも辞さない覚悟で、駅前のレンタカーをしらみ潰しにあたりました。この見知らぬ街の大雨のなかを、一生懸命走りました。出張の目的は達し、うっかりミスも無事回避。でも遅刻と中抜けでご迷惑をかけてしまったし、宿泊先のゲストハウスは3人の相部屋で、なんだかずっと気を張っていたように思います。

 

ゆっくりと古書店を見てまわって、駅について釧路ザンギとまりもアイスなるものを買って、鈍行で十勝まで。3時間くらいある旅で居眠りと仕事を繰り返していると、だんだん窓の外が暗くなってきました。十勝平野の向こう、山の間に沈む夕陽。蛇行した石狩川も、赤に染まっています。それを見たとき、旅をしている気持ちになりました。仕事が目的の出張だけれど、これは間違いなく旅でした。

天候、晴れ

「晴れてよかったね」

彼女が言いました。背丈の1.5倍はあるひまわりと一緒に写真を撮ってくれとねだるわたしに、バシャバシャと十分すぎるほどシャッターを切ったあとのことでした。

 

北海道の右下への出張を終えて、十勝に暮らす友だちを訪ねました。大学で知りあい、もう10年のつきあいになる彼女。わたしは北海道の左上で、彼女は北海道の中心よりちょっと右下で暮らしていますが、年に何度かは予定をあわせて会っています。初めて海外へ行ったのも、10時間かけて世界遺産を見に行ったのも、彼女と一緒でした。

 

ことさらに、彼女と見た世界遺産の感動を覚えています。山道を登り5時間、下り5時間。さらに登山道までのバスに揺られて、全行程12時間の道のりでした。険しい道ではなかったのが幸いですが、帰り道はわたしたち2人ばかりでなく、ツアーに参加した誰もが無言でした。宮崎県屋久島での思い出です。

 

屋久島は、ひと月に35日雨が降ると言われるほど雨が多い島です。生い茂る緑が雨の雫を受けてつやつやと輝く様子が、その深い色から想像できました。想像できた、というのはわたしがその島に滞在している間、雨にあたることはなかったためです。わたしと彼女は、雨に降られず世界遺産までの道のりを歩きました。

 

わたしたちは2人でさまざまな場所へ出かけてきたけれど、度々天候に恵まれます。わたしも彼女も、晴れ女の自覚はありません。ただ2人揃うと、なぜだかいつも天候は晴れでした。

 

「わたしたち2人だと、いつも晴れじゃん」

わたしが言うと、彼女は驚いたように目を見開いて

「たしかに」

と言いました。でも、この不思議な事実に気づいたのは、わたしより彼女のほうが先です。それを彼女はすっかり忘れているようでした。

「あいちゃんといると、晴れるな」

十勝晴れの青空を一身に受けるように、彼女がうんと伸びをします。わたしも彼女の後ろ姿を追いながら、うんと相槌をうちました。

f:id:ia_a:20220909225201j:image

誰も傷つけないツッコミを

中学生のころ、お笑い芸人を目指していました。半分冗談で、半分は本気。当時仲のよかった友だちと、地域で1番偏差値の高い高校を志望して「もしダメだったら札幌吉本の門戸を叩こう」と約束したのでした。それほど、わたしたち2人は何気ない会話を重ねて、おなかを抱えて笑いました。放課後の西陽が差し込む教室で、野球部が廊下を走るキュッキュッという靴音を聞きながら、それに対抗するように笑い声をあげました。おなかが痛くなるほど、声が枯れるほど笑いました。

 

だから、その言葉はわたしの胸に重くのしかかりました。

 

「否定しないでよ」

男友だちと会話していたときのこと。楽しくかけあいをしていたと記憶していますが、彼は急に黙りこくって、神妙な面持ちになったと思うと小さく口を開きました。

もちろん、彼の言を否定したつもりはありません。ただ彼の話がより面白くなればと思って、いわゆる「ツッコミ」をしていたつもりでした。それが彼にとって「否定」だったとは。反省。

 

たまに、苦手なお笑い芸人さんがいます。トークは面白くて好印象なのに、なんだか漫才はトゲが感じられて聞いていられない芸人さん。なにが引っかかるのかと疑問に思っていましたが、そうか、彼らのツッコミは「否定」なのでした。

 

コンプライアンスやらにうるさい世の中ですし、うるさくなくても、誰かを傷つけるようなお笑いがあってはならないと思います。わたしも否定ではなく、正しく「ツッコミ」をしなければなりません。仮にも、お笑い芸人を目指した者として。

ゲストハウスの夜

「十勝の峠を越えて目の前に平野が広がったとき、ゼルダのゲームで見たあの感覚があって、興奮しちゃったんですよね」

ゲストハウス。消灯後、キッチンのカウンターにつけられた2つのペンダントライトだけが灯って、それを囲んだわたしたちの顔に不思議な影を落としました。顔の造形を深く険しくするような、輪郭をぼやかして淡く優しくするような。わたしたちは、互いの顔を見合わせながら、ときにお酒を傾けて、声をひそめて笑いました。

 

ゲストハウスに泊まります。宿なんてシャワーが使えて眠れればよいし、安くてなんぼ。ベッドひとつ分しかないプライベートスペースは不便だけれど、どうせ夜は外で飲んでくるし、朝はさっさと出てしまうのですから、高いお金を出すのが惜しいと思います。7、8年前に起こったゲストハウスブームで道内にもあちこちにゲストハウスができましたが「ゲストハウス」なんてのは名ばかり。長期宿泊するゲストはそういないし、宿泊者同士の交流なんて夢のまた夢。実態はカプセルホテルのようなものでした。わたしが「ゲストハウス」に抱いた憧れは、3回ほど宿泊したころから薄れてしまいました。だから、その日そのゲストハウスに泊まれたのはよい思い出です。

 

北海道の東のまち。遠洋漁業から帰った漁師たちが楽しむ、大きな飲み屋街があるまち。ネオンの向こう、橋を渡って少し静かな住宅街に、そのゲストハウスはありました。

 

大学院に所属して藻の研究をしているという彼。

人生の休暇を利用してバイクで旅をしながらゲストハウスの手伝いをしているという彼。

今朝、船で東北から北海道に入り、ひたすらに自転車をこいでここまできたという彼。

街のはずれのゲストハウスでたまたま出会ったわたしたちは、年齢も経歴も価値観も違います。ただ、その違いを少なからず「興味深い」と思って、夜に沈む静かなまちで時間を共有しているのは同じでした。それはわたしが憧れた、「ゲストハウス」の夜でした。

魔法の街

映画「千と千尋の神隠し」のワンシーン。人の影もない抜け殻みたいな街に夜の帳が下りると、ふわっと明かりが灯ってどこからともなく人がわいてくる。その光景が、まさに目の前に広がっていました。

 

大きな街の飲み屋街に行きました。時間は午後5時。まだ陽が落ちきっていなくて、ぽつぽつ道を歩くのも酒屋さんか卸屋さんか、この街で働く人とばかり。ママチャリの後ろにカゴを据えて、右手でハンドル、左手でカゴを支えるお兄さんが追い越していきました。

 

迷路のようにあっちにもこっちにも店が連なって、でもそれを外れるとパタリと静かになります。店と店は肩を寄せ合って、お互い倒れないよう寄りかかって建っています。軒先にかかる柱とか、2階の小さな窓枠とか、どこか線が歪んでいて人の気配はありません。つんと指の先でつついたら、ガラガラ音を立てて崩れてしまいそう。もしかしたら、地方都市は人口流出が著しいしウイルス禍もあったので、どのお店も閉店しているのかもしれません。

 

「つぶ焼き」の赤い看板が下がった軒先では、まるでおやき屋さんのようにガラス越しに、たこ焼きより小さな溝がいくつもあいた鉄板が見えました。ここでおばあちゃんなんかが座って、焼きたてのつぶを渡すのでしょうか。でもいまはあまりに静かです。

 

お目当ての店に入ると「いらっしゃいませ」の声。ちょっと不安になったけれど、きちんと人がいます。美味しいお料理に美味しいお酒を堪能して、スタッフさんに見送られながら店を出ました。

 

オレンジの灯りがずっと向こうまで続いていて、電線にはお祭りのときみたいなきらきらひらひらした飾りがなびいています。楽しく笑うサラリーマンたちとすれ違い、向こうのほうではカラオケのぼわぼわした歌声が聞こえました。

「あっ」

行きがけに見たつぶ焼き屋さん。赤い看板に明かりが灯って、ガラス越しに鉄板へ向く人影が見えました。店前にはスーツを着た人が何人か集まっています。

 

どのお店も閉店していませんでした。夜になると、息を吹きかえすように寝床から這いだすように明かりをつけて、その明かりにどこかわともなく沸いた人が吸い寄せられます。この街には、そういう魔法があるようです。まるで、映画「千と千尋の神隠し」のワンシーン。

f:id:ia_a:20220903151334j:image

古書店

晴れた日でした。その街にしてはめずらしく、朝からよく晴れていました。店先に出された本が、少し西に沈みかけたオレンジの陽を受けてカラリと気持ち良さそうでした。目の高さくらいまでの本棚には文庫本がギッシリとつめられ、その足元にも「ミステリ105円」の文字が書かれた段ボール。店のガラスを背にして置かれたベンチには、映画のパンフレットのような雑誌のような、薄く大きな本が平積みになっていました。それを見て、この雨やら霧やらが多い街でこうやって外に出される彼らは、夜や天気の悪い日にはちゃんと回収されるのだろうかと心配になりました。

 

古書店に行きました。人ひとりしか通れない通路で、頭のてっぺんから足の先まで本、本、本。店の入り口には現代書もありますが、奥に行くごとに紙の擦り切れたいつどこで売られていたかもわからない本が増えていきます。少しずつ奥へ奥へと進んでいくと

「いらっしゃいませ」

の声に足が止まりました。

 

半ば本に埋もれるようにして、その人はいました。ご店主でしょう。大きなまんまるの眼鏡に豊かな白髪。70代半ばのひょろっとした男性でした。

「こんにちは」

わたしも声をひそめるようにしてあいさつし、また本棚を見上げます。

 

試しに一冊 手にとって、パラパラとページを繰ると古い紙のにおいと手にサラリとした感覚。薄く黄みがかったページは、乱雑に扱えばすぐに破けてしまいそうです。

なるほど、古書とはこういうものか。

本棚の1列目を見終わって、2列目に折り返したとき、ご店主の手元が見えました。本に囲まれて、ピンと背筋を伸ばしながら、手元ではなにやら書き物をしています。本に埋もれてわからなかったけれど目の前にはパソコンのディスプレイが置かれていて、その画面を睨んでは、握った鉛筆でサラサラと文字を書きました。本の値札を書いているのです。

 

価値の高い本ですから、裏にベタベタのシールを貼るわけにいきません。本の内側、最終ページの右上に3、4センチほどの青い紙が貼られ、そこに本のタイトルと価格が、縦長の几帳面な文字で記されていました。ご店主はカウンターの向こうで本に埋もれながら、一心に値段付けの作業をしているのでした。

 

でも、これほど店内に本が溢れているのですから、もうこれ以上本棚には新しい本が収まる隙はないように思えました。足元にも本が平積みにされ、その山のおかげで棚の下段に収められたタイトルが隠れています。けれどご店主は、青い紙を手元に寄せ、右手に握った鉛筆で、サラサラと書きつづけます。ご店主がペンを走らせる動きは、店内に流れるジャズにあわせるように、調子よく軽快でした。

f:id:ia_a:20220902233239j:image