ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

魔法の街

映画「千と千尋の神隠し」のワンシーン。人の影もない抜け殻みたいな街に夜の帳が下りると、ふわっと明かりが灯ってどこからともなく人がわいてくる。その光景が、まさに目の前に広がっていました。

 

大きな街の飲み屋街に行きました。時間は午後5時。まだ陽が落ちきっていなくて、ぽつぽつ道を歩くのも酒屋さんか卸屋さんか、この街で働く人とばかり。ママチャリの後ろにカゴを据えて、右手でハンドル、左手でカゴを支えるお兄さんが追い越していきました。

 

迷路のようにあっちにもこっちにも店が連なって、でもそれを外れるとパタリと静かになります。店と店は肩を寄せ合って、お互い倒れないよう寄りかかって建っています。軒先にかかる柱とか、2階の小さな窓枠とか、どこか線が歪んでいて人の気配はありません。つんと指の先でつついたら、ガラガラ音を立てて崩れてしまいそう。もしかしたら、地方都市は人口流出が著しいしウイルス禍もあったので、どのお店も閉店しているのかもしれません。

 

「つぶ焼き」の赤い看板が下がった軒先では、まるでおやき屋さんのようにガラス越しに、たこ焼きより小さな溝がいくつもあいた鉄板が見えました。ここでおばあちゃんなんかが座って、焼きたてのつぶを渡すのでしょうか。でもいまはあまりに静かです。

 

お目当ての店に入ると「いらっしゃいませ」の声。ちょっと不安になったけれど、きちんと人がいます。美味しいお料理に美味しいお酒を堪能して、スタッフさんに見送られながら店を出ました。

 

オレンジの灯りがずっと向こうまで続いていて、電線にはお祭りのときみたいなきらきらひらひらした飾りがなびいています。楽しく笑うサラリーマンたちとすれ違い、向こうのほうではカラオケのぼわぼわした歌声が聞こえました。

「あっ」

行きがけに見たつぶ焼き屋さん。赤い看板に明かりが灯って、ガラス越しに鉄板へ向く人影が見えました。店前にはスーツを着た人が何人か集まっています。

 

どのお店も閉店していませんでした。夜になると、息を吹きかえすように寝床から這いだすように明かりをつけて、その明かりにどこかわともなく沸いた人が吸い寄せられます。この街には、そういう魔法があるようです。まるで、映画「千と千尋の神隠し」のワンシーン。

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