ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

ひらける

「きっと、ひらけるよ」

彼女は言いました。なにをさして「ひらける」のかわからず、

「え?」

と聞き返すと、彼女はしごくまっとうな顔で

「あいちゃんの道が。今よりもっと良くなるよ」

と言いました。

 

部屋を契約しました。田舎の一軒家シェアハウス(一人暮らし)にはこりごりです。

hotohoto.hateblo.jp

とにかく冬が来る前に、この家を脱さなければ。虫だの寒さだのはまだ対応できますが、雪だけはどうにもなりません。しかもそれが隣近所のじいちゃんばあちゃんにまで至ると、わたしの1日は雪かきで終わってしまう可能性すらあります。そこで、ここ半月ほど部屋を探しをしていました。

 

大手賃貸情報サイトから内見を予約すると、車で2時間弱の近隣(?)都市から不動産のお兄さんが来て言いました。

「ご希望の条件に添える物件がなかなか…」

そう。

北海道の左上には、単身者向けで手頃な価格の賃貸物件がないのです。

 

家賃4万円以内

お世話になっている焼き鳥屋さんから徒歩圏内

わたしの条件はこれだけ。贅沢を言えば日当たりやら階数やら収納やらも気になりますが、駆け出しフリーランスのわたしが言える贅沢はありません。削って削って、ただ譲れない条件はこの2つでした。すると、焼き鳥屋のマスターが1軒紹介してくれました。

 

友だちを連れて内見。大家さんは札幌にいるらしく、管理を請け負っているという2件隣のおじちゃんみたいな人が案内してくれました。リフォームしたばかりで、家賃は射程圏内、焼き鳥屋からも徒歩5分。ただし木造アパートの1階で、坂の途中に建っているので窓の外はすぐ隣の家の基礎でした。

 

贅沢は言ってられない。でも湿気がひどそう。あと、わたしは太陽を崇拝しているので日当たりが悪いのは困ります。迷っていると、内見について来てくれた友だちが言いました。

「いいじゃん、わたしが住みたいくらい」

前回の内見より明らかに表情が明るくて、口数の多い彼女。

「そうかなあ」

「うん、きっとひらけるよ、あいちゃんの道が。今より良くなると思う」

なんだか面食らってしまって、わたしは何も言えませんでした。窓を背にしてこちらを向いている彼女の表情は分かりません。でも、まっすぐこちらを見ているようでした。

 

彼女が言うなら、そんな気がします。

翌日、わたしは札幌の大家さんに契約の意思を伝えました。

いいことがあったので

いいことがありました。めちゃくちゃにうれしかった。ここ最近、孤独に頑張ってきたことがいっぺんに報われた気持ちになりました。いいことがあった、そう言うに他なりませんでした。

 

いいことがあったので、母に電話をしました。バタバタしているときは後回しになってしまいがちな、母への近況報告。ことの経緯を話すとたいそう喜んでくれて、そこから少し長電話をしました。うれしいことと一緒に、最近のことや悩んでいることも話しました。いいことがあったので、不安なことも不安と言ってよいこととします。

 

いいことがあったので、チョコレートを食べました。最近なんだか知らないけど痩せて喜んでいたのも束の間、生活が安定してきたおかげか食欲が戻ってきました。家で仕事をしながらお菓子やカフェオレ。これはいかんと思って嗜好品を控えています。でも、いいことがあったので食べてよいのです。

 

いいことがあったので、バイト終わりにマスターとお酒を飲みました。バイト先である焼き鳥屋のマスターは、お客さんがまばらになってくると「きょうは飲むかい?」と聞いてくれます。「帰ったら仕事があるので」と断っているうちに「きょうは仕事するのかい?」と聞いてくれるようになりました。仕事が残っていないわけではないけれど、きょうはいいことがあったので飲んでしまいます。

 

いいことがあったので、部屋を契約しました。この古くて寒くて虫が同居人のオンボロ一軒家ともおさらばです。仕事を辞めるとき、収入が不安でとにかく安い物件にと思い引っ越しました。だから、およそ半年後の物件契約は思いきった決断でした。よい物件を見つけて、そこへ気持ちが向いているけれど、なんだか一歩を踏み出しきれずにいました。でも、いいことがあったので思いきります。これも自分へのご褒美です。

 

いいことがあったので、ご褒美ご褒美。ご褒美の大盤振る舞いです。たまにはよいでしょう。日々の頑張りをたまの「いいこと」に労われながら、わたしたちは明日も頑張るのです。

27歳田舎ぐらし女子のモーニングルーティン

「27歳女子のモーニングルーティン」

この文字面で、どのような想像をするでしょう。朝起きて、軽い朝食を食べて、化粧をして、髪をセットして。そんな白く細い額縁で彩られたリリカルな暮らしを想像するでしょうか。パンの焼けるにおいと香水の香りをまとって、その部屋にふりそそぐ朝の光は、白くやわらかいのでしょうか。現実は、いえ、田舎の古い一軒家に暮らす27歳のモーニングルーティンは、そんな想像からかけ離れています。

 

7.5畳の自室は昔ながらの作り。木目調の壁のこい茶色が部屋の印象をよどませ、朝の光が二重窓の薄い曇りガラスでにじんでいます。

目を覚ましたら、カーテンを開けるよりうんと伸びをするよりまずメガネ。これをしないと、悲惨なメにあうでしょう。窓も扉もきっちり閉まっている部屋で、ベッドのすぐ足元に鎮座するコオロギとともに目覚めたのは夏の終わりのこと。なにやら大きなごみが落ちていると思ってよくよく見たら、コオロギでした。それ以来、家にいるときはメガネとスリッパが欠かせません。

布団からはいだして、ガムテープを片手に家を一周。ここで夜中のあいだに湧き出るワラジムシやらゲジゲジやらを捕獲します。ゲジゲジの出現率は2ヶ月に1度ほどですが、出くわせば大きな精神ダメージ。ワラジムシは通常時で6、7匹ほど、春先のあたたかくなる時期は特にひどくて、朝イチの捕獲で20を超える日もありました。

 

そうして家中の虫をとり終えてから、ようやくわたしの朝が始まります。田舎の、築何年かも知れない木造一軒家に、1人きりで暮らす27歳女子。「メガネをかけてガムテープ片手に虫の駆除」なんて、誰が想像するでしょう。引っ越したい。

 

今週のお題「マイルーティン」

ゆきむし

2022年、10月2日、午後5時。

今年はじめての雪虫を観測したことを、ここに報告いたします。

 

仕事がひと段落しました。休日に朝から晩まで働いたこともあり、なんだか放心状態で半日。かろうじて昨日の飲み会の残骸を片付けて、冷蔵庫のなかでカビを生やしかけていたカボチャを味噌汁にしたあとは、ずっとベッドの上にいました。そろそろ仕事をしなければと起き上がると、外は日が暮れかけて、庭に長い影ができています。

そうだ、散歩に行こう。

気分転換に、歩いて10分ほどのコンビニまで。1日中家にいたし、よい運動です。薄い部屋着にジャンバーを羽織っただけ。昨年の秋に買った白いアウターは、春先に着てクリーニングに出しておいたのでパリッとしています。ケータイとイヤホン、鍵だけを持って外へ。やはり、1枚羽織ってちょうどよい気温です。でも歩いているうちに暑くなるでしょうか。少し迷ったけれど、着替えにまた家に入るのが面倒で、玄関扉に鍵をかけました。うちの庭からは住宅の屋根の向こうに海が見えて、海と空の境目あたりから赤、オレンジ、黄、白、薄青、青、群青のグラデーションをつくっていました。水をたっぷり含ませた平筆に、少しだけ水彩絵の具を乗せてさあっと引いたような空。きっぱりと幻想的な色合いをした夏の夕焼け空とはちがう、秋の空です。

 

夕方の住宅街は静かで、たまに自転車に乗った子どもに追い抜かされます。日の入り時刻がだんだん早くなって、午後5時の太陽は駆け足。子どもたちの足取りも早く、どこかむこうの方で、醤油とみりんがぐつぐつするにおいがしました。

 

普段は車で通る道のりを、ゆっくりと歩きます。中学校の裏にさしかかったところでふわふわと視界を横切るもの。雪虫です。おしりに白い綿のようなものをつけたアブラムシで、冬の入りしなに発生します。一説には、雪虫が出てから10日で初雪が降るとか。しかしここ3年ほどのわたし調べでは、雪虫発生から20日ほどが初雪の降るタイミングです。

 

コンビニについて扉を押すと、帰宅時刻のサラリーマンや親子でにぎやか。なんだか、みんなまだ夏の名残みたいな半袖や薄い上着を着ています。わたしは今日、雪虫を見ていますから、あと20日。今月末には、冬がやってくるはずです。

さいご

さいごのときって、どんな気持ちなんでしょう。卒業式とか、引越しとか、仕事を辞めるときとか。

 

あしたついに、前職をきっぱり辞めます。退職後、食い扶持としてアルバイトさせてもらっていた前職場でしたが、繁忙期も終わり人手が足りるとのことで、悩んだけれど辞めさせていただくことにしました。これで、この5年と半年通った職場ともお別れです。

 

さいごのときって、どんな気持ちなんでしょう。卒業式で涙する友だちを見ました。今生の別れでもないのに、会おうと思えば会えるのにと思いながら、その日最後になる校舎のにおいを胸いっぱいに吸いこんだのを覚えています。引越しを7回経験しています。友だちと離れるのは寂しいけれど、これからガラリと変わる暮らしを思うと、胸の高鳴りを抑えられませんでした。アルバイト含め、何度か退職も経験しました。どこか清々した気持ちで「お世話になりました」と頭を下げました。

そういえば、わたしは卒業式も引越しも退職も、特別な感慨がなかったように思います。いえ、感慨がなかったのではなく、新しく始まる明日からのことにずいぶんと気を取られ、感傷に浸る余裕がなかったのでした。

 

だって卒業式をしたあと、校舎の前を通るたびに楽しかったあの日々を思い出しました。たまに遊びに寄る校舎や先生方との会話は、年月をあけるほど感慨深いものがありました。

引越してもなお、関わりのある友だちがいます。思い出したときに思い出したように連絡すると、まるで昨日も会っていたようにしっくりと、距離を感じさせない返事がかえってくるのです。

退職は、自分の殻を破るようなものでした。古くなってまとわりつく殻のカケラを払いながら、柔らかく新しい殻が密かにできあがっているのは、どきどきして、そわそわしました。

 

だから、今回も大丈夫だと思います。

あした、前職を辞めます。

ごはんだよ

ここ2日ほど、同居人が帰ってきています。なんだか不思議な表現ですが、シェアハウスに暮らすわたしは、同居人の実家が近いことからあまり帰ってこず、古い一軒家に実質一人暮らしをしているというわけです。同居人は仕事に集中したいときや楽器を弾くとき、会議や飲み会なんかでその家を使っていました。

 

「ごはんだよ」

メッセージ。〆切に追われるわたしは、自室でそれを受け取りました。終わりが見えない作業の手を止めて居間へ。すると名前の知らないおしゃれな料理が皿に並べられています。同居人は料理人でもありました。

「行儀悪いから、仕事しながらごはん食べるね」

そういって、皿の隣にパソコンを広げる同居人。わたしは向かいに座って、料理に箸をつけます。

「夕食って結局こういうことでいいと思うんだよね。定食とかじゃなくてさ、つまみ程度で」

目の前に並ぶのは、生クリームをつかったディップやチーズとサーモンをあわせた一口サイズのおつまみ。わたしは「わかる」と相槌をうちながら、冷凍ごはんをあたためます。

「そういえばさ、」

どちらからともなく話をします。仕事のこと、プライベートのこと、怒ったこと、笑ったこと、悩みごと、将来のこと。この頃 忙しく、目を向けられなかったいろいろが、美味しいごはんを腹に収めるかわりにぼろぼろと溢れ出しました。まだまだ仕事は山積みだし、話し込んでいる時間はありません。

「ごちそうさま」

40分ほどの夕食と40分ほどの会話を終えて自室へ引っ込み、仕事のつづき。それでもずいぶん気持ちがすっきりしていました。

 

わたしは10年一人暮らしをしてきたので、いまさら他人と一緒に暮らせるかは甚だ不安です。生活リズムとか、家事の基準とか、生活音とか暮らしのこだわりとか。でも、こうして抱え込んだもやもやを美味しい料理と入れ替えられる食卓があるなら、同居も悪くないと思うのでした。

冬に向けて

空が高い。細切れのうろこ雲がでて、お天気だけれど風は冷たくて、朝晩は一枚羽織らないと寒いほど。

冬が近づいています。

 

最近、実家に帰ろうかと悩んでいます。

古い一軒家を借りての一人暮らしし。本当はシェアハウスなのだけれど、同居人の実家が近くにあるので、ふだんわたしはこの広い家に1人きりです。気ままな暮らしですが、これからやってくるのは寒く長く厳しい冬。我が家の庭は家一軒ぶん建つほど広くて、そこの雪かきプラス、隣近所のおばあちゃんたちのぶんを考えるとどうにも気が滅入り、実家に避難しようかというわけです。まあ雪が降る間の12月から3月、3ヶ月ほどでしょうか。

 

実家に帰るということを考えます。

名案に思えるこの考えですが、わたしに残っているほんのわずか冷静な部分が警鐘を鳴らします。

実家をはなれて10年。そのあいだに実家は父と母だけになり、妹が戻ってきて、犬と猫が家族になりました。わたしはその間を実家から離れ、1人きりで過ごしてきたのです。たまに帰省すると、父と母と妹の力関係に気をつかわずには平穏に暮らせないし、いつのまにか犬が家族カーストの最上位にいるし、猫はわたしをそのへんに生える鬱陶しい雑草くらいに思っているでしょう。(目障りなネズミくらいには思ってくれているかも)

 

わたしは未だに困ったことがあると母に泣きつくし、妹には人生の先輩のような気持ちで相談するし、父と飲み交わすお酒が好きです。でも、もしわたしが、出来上がった実家の暮らしに足を踏み入れたら、実家で暮らす家族にとってもわたしにとってもハッピーでない気がします。

わたしが実家に帰る案を母に話すと母は喜んで高い声をあげましたが、その声がわたしのなかで、がらんどうの部屋に反響するようにカラカラと寂しく響いたのでした。

 

実家はたまに帰るくらいがよいのかもしれません。でもこの冬をどう越すかは、大きな課題としてわたしの目前に横たわったまま。冬が刻一刻と近づきます。