ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

そこに愛はあるのか

LGBTQ+を題材にした映画をよく見ます。

先日見て、最高だったのがこちら。


グザヴィエ・ドラン監督&出演!映画『マティアス&マキシム』予告編

 

映画を選ぶとき、男性でも女性でも、同性愛でもトランスジェンダーでも関係なく、幅広くLGBTQ+にカテゴライズされるものを手にとる傾向があります。

親近感とか趣味とかではなく単純な興味が強くて、その興味がどこから芽生えるのかといえば、作品のなかに見える「愛」。愛というテーマにおいて、LGBTQ+映画作品は、最も純粋に向き合っていると思うのです。

 

LGBTQ+作品といっても、テーマは様々。性自認と葛藤したり、差別と戦ったり、恋愛をしたり。なかでも興味を引かれるのが、恋愛です。

 

わたしは、ラブストーリー映画を好みません。そこにリアリティを感じられず、見ているうちに気持ちが冷めてしまうのです。ラブストーリーといえば、マジョリティとして男女が出会い、障害が生じ、向き合う過程で気持ちと関係が変化します。男女が出会って2人で1つのことに向き合う過程に、特別な感情が芽生え育まれるのは、何ら不思議なことではありません。けれどそれは映画のなかのお話で、現実世界だとどうだろうと思うのです。出会った男女の間に問題が生じても、第3者の介入によって2人だけの物語にならない可能性があるし、そもそも問題に向き合わず逃げるという選択肢があります。映画の世界では、2人は約束されたヒーローとヒロインであり、育まれる愛を疑問視する必要はないのです。でも、わたしは、

そこに、愛はあるのか

まず、愛ってなんなんだよ

と、考えたりするのです。ヒーローとヒロインが育む、疑問視されることなく自然的必然的に持ちだされる「愛」が、そもそも定義不十分ではないかと思うのです。だって、たかだか2時間の映画作品の中で描かれる男女のすったもんだに、エンターテイメントを感じこそすれ、当人同士にしかはかり知れない「愛」を理解することができますか。共感できますか。前提条件として、ヒーローヒロインが当然の顔をして語る「愛」がわからないんだ。

 

その点を深く掘り下げてくれるのが、LGBTQ+カテゴリです。マイノリティである彼ら彼女らが、自らの存在と向き合い、芽生えた感情を何度も問い直しながら、それでも湧き上がる衝動に苦悶する。その過程にこそ、理解し、共感し、感動するのです。

そこに愛はあるのか

問いに応えてくれる映画作品は、マジョリティラブストーリーではなく、LGBTQ+作品です。

 

※本記事は、映画作品としてのLGBTQ+カテゴリに対する個人の感想であり、セクシュアルマイノリティの上で語られるLGBTQ+に対する認識ではありません。当事者の方、社会的な認識、法的な問題においては、より深い見地から語られるべきであり、わたしはその理解が未熟です。当ブログで取り上げるテーマではないことをご理解ください。

 

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今週のお題「最近見た映画」

【マティアス&マキシム  監督 グザヴィエ・ドラン

そもそも監督が大好きなのだけれど、それを差し引いても最高でした。

おふざけでした1度のキスから、幼なじみ関係が形を変えていく男性同士。そこにはもちろん戸惑いがあって、従来の関係性への愛着があって、でも湧き上がる気持ちは止まってくれません。身の振り方がわからないうえに、家族や将来、仲間関係といった生活における問題は、依然としてそこにあります。その葛藤描写が、監督の感情表現力によってリアルで鮮烈で、胸が締め付けられました。愛とか恋とか、個人感情によるところは結局当人同士にしかはかり知れなくて、それを踏まえた上で展開するストーリー。彼らの気持ちが、映画の意義が、このストーリーの行き着くところが、読めそうで読めない。あと3回見たらいける気がした、絶妙な映画です。おそらく劇場公開は終わってしまったので、DVDやストリーミングサービスでぜひ。

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