ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

妬ましいという感情から

「それって自慢っぽくないですか」

SNSに制作物をアップロードする際、制作者の個人名を添えようと提案すると、意見がありました。「オレが作ったぜ」と誇示するようで、見る人の鼻につくのではないかと。たしかに、自分ができないことをやってのける姿を見て苦々しく感じる、という思考は理解できます。けれどこの場合は「自慢」ではなく「発表」です。

 

「自慢」がいけないのは、スキルをひけらかしてむやみやたらに個人感情を揺さぶることで、他者を不快にさせるためです。「発表」そのものは悪いことでなくて、そこに他者を害するような感情が加わると、「自慢」になります。「自慢」にしない細心の注意のもとで発表されるものについては、どんどん人の目に触れさせて、フィードバックを得て磨き上げていくべきです。

 

そしてもう1つ。

「発表」を「自慢」にしてしまう要因は、受け取る側にもあります。「発表」を見て、感動したり感心したり、時には違和感を得ることもあるでしょう。それを素直に伝えることが「発表」のあるべき姿です。けれど、心動かされたその先が「妬ましい」という感情に行きついてしまったら。どんなに細心の注意をはらった「発表」も「自慢」になってしまいます。

 

これは個人の感情によるところなので、仕方がありません。わたしたちは心の中に「妬ましい」と感じる怪物を飼っています。でもそれを、野放しにしてはいけません。

「妬ましい」とは、「わたしはできないことが、あの人はできる」ことについて「羨ましい」とする感情が、矛先となって”あの人”へ向かってしまう状態です。

でも、わたしは本当にできないのでしょうか。

理不尽と努力を重ねて、それでもできなくて、なら他にも、できることがあるのではないでしょうか。できないばかりが"わたし"ではないはずです。

「妬ましい」と感じることは悪ではありません。誰もが得うる感情です。だからこそ、それをむやみやたらに表出させるのは、よほど恥です。

 

少なくとも、わたしはそう思います。

巨大な怪物を飼い慣らして、わたしたちは暮らしています。