泣いている娘
父は、デリカシーがありません。
太った痩せたをこちらの事情お構いなしに批評するし、娘のプライベートを他人にぺらぺら喋ります。そもそも、わたしが彼を「デリカシーがない」と判断したのは、5歳のときでした。
父は、わたしの友だちを含め子ども3人を映画館に連れて行ってくれました。父が1番通路側に座って、わたし、そして友だち2人が並び、ぜんぶで4人。続々と入ってくる人、ふかふかの椅子、こそこそくすくす、上映までのはやる気持ちがお喋りになってこぼれました。ビーっと響く音、落ちる照明。真っ暗になったかと思うと、パッとスクリーンが浮かび上がって、反射した明かりが、小さく握ったこぶしや膝小僧をぼんやりと照らしていました。すると、おなかに響く大音量。映画は、小さなわたしにとってドキドキワクワクのエンターテインメントでした。
5歳のわたしたちが見るのは、劇場版の「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」。特に、ドラえもんには感情を揺さぶられました。のび太くんが、まっすぐな気持ちで前に突き進んだり、友情を育んだり、機械と人を越えた愛情を抱いたり、家族との絆を確かめたりするたびに、小さなわたしの目からぼろぼろと大粒の涙がこぼれました。5歳のわたしにとって、痛い、悲しい、恐ろしい以外の感情で涙をこぼす場所は、映画館くらいでした。
そんなとき、父は決まってわたしの顔を覗きこみました。
ほかの子はすっかり綺麗な顔をしているのに、わたしだけ、涙と鼻水でぐずぐずになった顔が嫌で、できることなら、大人しくまっすぐ前を見ていてほしいと、父の肘あたりを小突きました。
お父さんはデリカシーがない。
5歳のわたしの辞書に「デリカシー」なんて言葉はなかったけれど、そのニヤニヤした顔に苛立ちを覚えました。
でも、吉本ユータヌキさんのインスタグラム投稿を見て、なんだか少し、劇場版ドラえもんを見て涙を流した5歳のときのような、鼻の奥がツンとする感覚がありました。