ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

わたしが死んだのは

わたしが最初に死んだのは、16歳のときでした。大好きな小説家が処女作を執筆したのが16歳。神童と呼ばれデビューしました。当時、小説家になりたかったわたしは、彼が憧れの対象だったし人生の目標でした。デビューできなかったわたしは、16歳で死にました。

 

でも、神童の名を手にする余地がありました。19歳までになんらかの賞に選ばれれば、神童と呼ばれるでしょう。賞に選ばれなかったわたしは、19歳で死にました。

 

「年齢」は、いつもわたしにつきまといます。

20代後半にさしかかった今年、よく言われる「彼氏はいるの?」。結婚適齢期という「年齢」がうっそりとこちらを見ています。

 

でも、わたしはもう、死なない気がします。

16歳のときも19歳のときも、年齢という変えがたい事実にあっさり殺されたけれど、なんだかんだ、いま楽しく生きています。

16歳で小説家デビューしていれば、わたしはここにいませんでした。19歳で賞に選ばれなかったのは、当時もっと夢中になることがあったからです。20代前半は、目まぐるしく変わる環境を自在に行き来する自分が好きでした。そして、20代後半。いまのわたしは、あの時のわたしの延長線上にいて、未来のわたしは、いまのわたしがつくるのです。だから、もう大丈夫。

 

そう言うと、まるでわたしが強がっている可哀想な子とでも言いたげに、眉根を寄せて猫撫で声を出すひとがいます。じゃああなたは、いまわたしがここで死んだら、責任をとってくれるのでしょうか。20代後半にさしかかった女の死体は、とてつもなく重いでしょう。あなたが殺したんですからね。

そういう責任転嫁をしたくないと思います。

わたしの死体はわたししか処理できないことを知っています。

だからわたしは、もう死にません。