ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

お先に

「ほら、きょうは良いと思いますよ」

先輩が音もなくデスクの右側に立って言うものだから、眉根が寄りました。

良いと思いますよ?

ミスでもしただろうか?

ていうか、そろそろ帰ろうと思ったのに?

時計を見ると、定時をまわって少しほど。ぐるぐると考えながら、返事も忘れて先輩の顔を見上げていると、彼は着いてこいと言わんばかりに背を向けて歩きだしました。

「きょうはって…」

椅子から立ち上がり、後を追います。

がっ、ががっ、

廊下に出た彼は、大仰な音をたてる建付けの悪い窓を開けました。夕方の、少し冷たい空気がツンと鼻について、まんまるの夕陽が滲ませる赤紫が網膜に焼きつきます。

「ほらね、これぞ日本一の夕陽」

日本海に沈む夕陽の景色。過去には「日本の夕陽100選」に選ばれた美しい景色。それを我が物顔で臨みながら、ふん、と少し出たお腹をさらにつきだす先輩。ちょっと笑ってしまいました。

「でも、もう少し時間がたたないとわからないじゃないですか」

時刻は19時10分。完全な日の入りまであと10分。太陽は、最後の1秒まで常に表情をかえながら沈むのです。

「そうかあ、じゃあ、もうちょっと待つかあ」

そう言いながらも、バシャバシャとシャッターをきる先輩。わたしは先輩のその動作を待ちながら、網膜を鮮烈な紫に焼かせるままにしていました。

がっ、ががっ、

写真を撮り終えて、わたしがカメラを構えずにいることを横目で確認した先輩が、窓を閉めます。わたしの視界は光の影響で真っ暗。10分はやく夜がやってきたようです。

 

きのうも、こんな話を先輩としたのでした。

就業時刻を過ぎた会社の廊下。

他愛のない天気のはなし。

でも、日本一のはなし。

なんだか妙に満たされた気持ちになって、日の入りを待つ先輩に言いました。

「それじゃ、お先に失礼します」