ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

ごはんだよ

ここ2日ほど、同居人が帰ってきています。なんだか不思議な表現ですが、シェアハウスに暮らすわたしは、同居人の実家が近いことからあまり帰ってこず、古い一軒家に実質一人暮らしをしているというわけです。同居人は仕事に集中したいときや楽器を弾くとき、会議や飲み会なんかでその家を使っていました。

 

「ごはんだよ」

メッセージ。〆切に追われるわたしは、自室でそれを受け取りました。終わりが見えない作業の手を止めて居間へ。すると名前の知らないおしゃれな料理が皿に並べられています。同居人は料理人でもありました。

「行儀悪いから、仕事しながらごはん食べるね」

そういって、皿の隣にパソコンを広げる同居人。わたしは向かいに座って、料理に箸をつけます。

「夕食って結局こういうことでいいと思うんだよね。定食とかじゃなくてさ、つまみ程度で」

目の前に並ぶのは、生クリームをつかったディップやチーズとサーモンをあわせた一口サイズのおつまみ。わたしは「わかる」と相槌をうちながら、冷凍ごはんをあたためます。

「そういえばさ、」

どちらからともなく話をします。仕事のこと、プライベートのこと、怒ったこと、笑ったこと、悩みごと、将来のこと。この頃 忙しく、目を向けられなかったいろいろが、美味しいごはんを腹に収めるかわりにぼろぼろと溢れ出しました。まだまだ仕事は山積みだし、話し込んでいる時間はありません。

「ごちそうさま」

40分ほどの夕食と40分ほどの会話を終えて自室へ引っ込み、仕事のつづき。それでもずいぶん気持ちがすっきりしていました。

 

わたしは10年一人暮らしをしてきたので、いまさら他人と一緒に暮らせるかは甚だ不安です。生活リズムとか、家事の基準とか、生活音とか暮らしのこだわりとか。でも、こうして抱え込んだもやもやを美味しい料理と入れ替えられる食卓があるなら、同居も悪くないと思うのでした。

冬に向けて

空が高い。細切れのうろこ雲がでて、お天気だけれど風は冷たくて、朝晩は一枚羽織らないと寒いほど。

冬が近づいています。

 

最近、実家に帰ろうかと悩んでいます。

古い一軒家を借りての一人暮らしし。本当はシェアハウスなのだけれど、同居人の実家が近くにあるので、ふだんわたしはこの広い家に1人きりです。気ままな暮らしですが、これからやってくるのは寒く長く厳しい冬。我が家の庭は家一軒ぶん建つほど広くて、そこの雪かきプラス、隣近所のおばあちゃんたちのぶんを考えるとどうにも気が滅入り、実家に避難しようかというわけです。まあ雪が降る間の12月から3月、3ヶ月ほどでしょうか。

 

実家に帰るということを考えます。

名案に思えるこの考えですが、わたしに残っているほんのわずか冷静な部分が警鐘を鳴らします。

実家をはなれて10年。そのあいだに実家は父と母だけになり、妹が戻ってきて、犬と猫が家族になりました。わたしはその間を実家から離れ、1人きりで過ごしてきたのです。たまに帰省すると、父と母と妹の力関係に気をつかわずには平穏に暮らせないし、いつのまにか犬が家族カーストの最上位にいるし、猫はわたしをそのへんに生える鬱陶しい雑草くらいに思っているでしょう。(目障りなネズミくらいには思ってくれているかも)

 

わたしは未だに困ったことがあると母に泣きつくし、妹には人生の先輩のような気持ちで相談するし、父と飲み交わすお酒が好きです。でも、もしわたしが、出来上がった実家の暮らしに足を踏み入れたら、実家で暮らす家族にとってもわたしにとってもハッピーでない気がします。

わたしが実家に帰る案を母に話すと母は喜んで高い声をあげましたが、その声がわたしのなかで、がらんどうの部屋に反響するようにカラカラと寂しく響いたのでした。

 

実家はたまに帰るくらいがよいのかもしれません。でもこの冬をどう越すかは、大きな課題としてわたしの目前に横たわったまま。冬が刻一刻と近づきます。

居酒屋人間観察

「おい〜急に連絡してくんなよ!」

白いブラウスに細いリボン、毛先をゆるく巻いた栗色の髪を揺らして、女の子が言いました。わたしより2つ3つ下でしょうか。いえもしかしたら同い年、上なんてことも考えられます。女性の年齢はわかりません。ただ、小動物のようなその見た目に反したぶっきらぼうな言葉に、ちょっと驚きました。

 

居酒屋でバイトをしています。火曜日と金曜日の夜は、昔ながらの焼き鳥屋で厨房とホールを行ったり来たり。その日も女性グループにおしぼりを出して裏に引っ込んだら、すぐにマスターが入ってきました。

「あの子たち、なに?」

なにってなんですか。笑ってしまいましたが、まあマスターの反応もわかります。こんな田舎では、胸元にリボンをつけたり白いフリフリのブラウスを着たりした女性ばかりの5、6人グループは稀です。

「帰省じゃないですか」

「いや〜でも大学生にしちゃもう少し年齢上じゃない?」

あ、と思い出したようにサラダとポテトフライの注文を言いつけて、マスターは焼き場に戻っていきました。

 

注文の品をお出しして、隣の席を片付けていると反対隣の男性グループが「あの子かわいい」とかなんとか言うのが聞こえます。

細身で女の子らしい服装の彼女らはたしかにかわいいけれど、その声と話し方から、わたしは「かわいい」と別のものを感じます。

 

ああ、外を出歩くと、こうやって赤の他人になにかとジャッジされるのかと恐ろしくなりました。だってもしわたしがお客さんとしてこのお店に来ていたら。

「どぁ〜〜〜おつかれ…!」

と疲れた顔で入ってきて、並々のビールをぐうっと傾けて、ぐわーとかくうーとか声にならない声をあげるでしょう。その姿は「かわいい」とは到底かけ離れています。気をつけなければと思う反面、厨房に戻ったわたしはマスターに聞きました。

「あの男の子たち、なに?」

昔ながらの焼き鳥屋には、さまざまな人が集います。彼らの観察はやめられません。

そういう日

タイヤをパンクさせました。

いつもはなんともない自宅の駐車場でこすって、盛大にシューシューいうタイヤをなんとかガムテープで押さえようと一旦家にあがって戻った頃には、ぺちゃんこの左前輪。すぐに車関係に勤めるしりあいに連絡してみるけれど、修理不能・交換費は150,000円前後とか。落ち込まないわけがありません。

 

しりあいは落ち込むわたしを心配して、過去の失敗談を聞かせてくれました。お客さんの前でお客さんの車のバンパーをがっつりぶつけてしまった話。

30%回復。

半ベソで母に電話をすると、最近紙フィルターをまとめ買いしたばかりの掃除機が、紙フィルター到着2日後に動かなくなった話を聞かせてくれました。ちょっといい紙フィルター代と新品の掃除機はなかなかいいお値段。そんな失敗、1年のうちに何回かあるでしょ、おかあさんはあるよ、とあっけらかんとした母。

60%回復。

日中、家で仕事をしていると家の前の道路に大仰な車が停まりました。少ししてチャイム音。出てみるとタイヤの買取業者さんで、うちのサンルームに置いてある冬タイヤを見てチャイムを押したとか。あまりのタイミングに実は…とパンクしたタイヤを見せると、現在のタイヤ相場はどうとか、この車ならタイヤ交換がこうとか、タイヤ事情を親身に教えてくれました。業者さんはわたしより5、6歳上でしょうか、気持ちのよい方で「このあたりの会社ですか」と尋ねると、いただいた名刺には札幌の住所。昨日、仕事でこの地域を訪れて、さて帰ろうと思ったら一般のお宅の少しせりだしたテラス部分にバックガラスをしこたまぶつけて全壊。修理とお詫びを終えていまここにいるとのこと。

もうなんか、落ち込んでいたのがどうでもよくなってしまいました。

 

「しょうがないです…僕もバックガラスやっちゃうし、お客さんもパンクさせちゃうし…昨日はそういう日だったんです…」

そういう日ならしょうがないとわたしも深く頷いて、そしてようやく笑えました。周囲の優しさに救われた1日でした。

終わること、始まること、選ぶこと

すべて納得したように、こんな文章を書きました。

hotohoto.hateblo.jp

 

「終わりよければすべてよし」とはよくいったもので、終わらせて始めてみてもなんとか無事に生きているのでこんなことが言えたけれど、やっぱり、選ぶことは痛い。痛いということを思い出しました。

 

「あいちゃんも、少ない時給で出勤してくるのは煩わしいでしょう?」

そんな理由で、来月のバイトのシフトが減りました。もともと再来月に試験を控えていたわたしは、今月決まった大口の仕事に安心すらして、シフトを減らしてもらおうと考えていました。なので2つ返事で

「はい」

とその減ったシフトを承諾しましたが、でもやっぱり、よく考えるとそんな簡単な話ではない気がします。

 

長く続けてきた仕事。少ない時給とはいえ、生活の主軸になっていたお給料。慣れた職場への愛着。いまの本業。作業時間と身体を休める時間。

 

考えれば考えるほど、「はい」と簡単に答えたあのときのわたしのことが、わからなくなってしまいました。

 

終わることがあり、始まることがありました。そしてそのぶんだけ、いえそれ以上に「選ぶこと」がありました。選ぶのは、大変なこと。これまでの自分をふりかえり、いまの自分とよく話し合い、これからの自分を想像すること。ときには、痛みをともなうこと。

終わらせて、始めて、納得のいく結果を手に入れたのも、すべては選んだわたしがいたからです。だから、終わらせたことと始めたことをふりかえって、得た結果に納得して満足していたけれど、もうひとつ。選んだ自分がいたことを、忘れないでおこうと思います。

 

今年が始まって3分の2が終わり、新しい挑戦を始めて6ヶ月が経ちました。終わることがあれば、始まることがあります。そのたびに、頭を抱えて深く悩んだ、「選ぶ」ことをしたわたしがいました。

終わること、始まること

9月だ。

好きなタレントさんが今月のイベント情報を出していて、気付きました。友だちの誕生日が来たし、虫の声が耳障りなキリギリスからころころ鳴くスズムシに変わったし、夜の風が冷たくなりました。今年が始まって3分の2が終わったし、わたしが仕事を辞めて半年が経ちました。それは新しい挑戦を始めて6ヶ月が経ったということだし、ようやく軌道に乗ってきたと感じます。本当によかった。毎日ひいひい言ってるし、遊びに行くにも財布とスケジュール帳を睨めっこするけれど。それでも、すべてを放り出してなんにもなかった半年前よりマシでした。

 

店頭には新年のスケジュール帳が並んでいます。わたしのスケジュール帳は4月始まりだから、10月始まりや1月始まりの並ぶスケジュール帳コーナーを見るとずいぶん気が早く感じられます。でも多くの人がそこへ集まって手のひらサイズほどのページを繰るので、わたしも同じようにして並んで、表紙やページを眺めるのでした。

 

ただ、わたしのスケジュール帳はここ6、7年おなじもの。無印良品の枠だけが書かれたリングノートです。手のひらに収まるA5サイズで、さらさらとした厚紙の触り心地。そこへ日付や曜日を色鉛筆で書き込むのでした。

www.muji.com

誰の目に触れることもない、わたしだけのスケジュール帳。わたしだけのために日付と曜日を書き込んで、少しだけ季節のイラストを描きこみます。年末、足を炬燵で温めながら、新年の四季を思いつつ描くその時間が好きでした。

 

でも、おそらく来年はスケジュール帳を作りません。今年に入ってから自分で管理しなければならないスケジュールが増えました。鞄から取り出して、シャープペンシルをカチカチやる間さえ惜しくなり、スマホのスケジュール管理アプリを活用しています。昨年の終わりに作られたスケジュール帳は、イラストを鮮やかに残したまま書き込まれることなく、鞄の中に取り残されています。

 

今年が始まって3分の2が終わり、新しい挑戦を始めて6ヶ月が経ちました。終わることがあれば、始まることがあります。

 

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今週のお題はてな手帳出し

最近の悩み

「ひさしぶり。覚えていますか?」

ひかえめなメッセージ。インスタでもツイッターでもなく、フェイスブックメッセンジャーでした。

「たまたまあいちゃんの投稿を見つけて、懐かしくなってメッセージしてしまいました。迷惑だったらごめんなさい…」

小学校6年間が一緒だった女の子。中学進学で別れて以来、顔を合わせたことも言葉を交わしたこともありません。家が近所だったので6年間関わりつづけてきたけれど、正直、あまりよい思い出はありません。いわゆる「女の子の人間関係」を、わたしはその子から学びました。

「いまのあいちゃんとぜひお話ししてみたいです」

あーこの感じ。わたしは大きく息を吸って、そして吐きました。

 

わたしだってそれなりに27年生きてきました。

中学のとき同じ美術部だった、線の細い女の子。彼女が病気で1年休学してしまい、めっきり会うことがなくなりました。つぎに彼女の名前を見たのは社会人になって2年目の夏。彼女から暑中見舞いのハガキが届きました。簡素なハガキには彼女らしい端正な文字が並び、ひさしぶりに会いたいと書かれていました。ハガキには、保険会社の名前が印字されていました。

大学生のとき、ホームパーティーやらアウトドアやらに誘ってくれる30代半ばのご夫婦としりあいました。催しごとにメンバーや世代が異なるので面白く、誘われればどこでも向かいました。5回目のホームパーティーで、きょうは誰がいるのだろうと胸を躍らせながら行くと、わたしとご夫婦の3人きり。食後に始まったのは、あるブランドの実演販売でした。

 

わたしだってそれなりに27年生きてきたのです。突然にきた昔の友だちからの連絡。保険かマルチか宗教か自己啓発セミナーかと、考えをめぐらせます。

「えっ、ひさしぶり!!!いまどこでなにしてるの?」

返信しない選択肢もありました。でもわたしは好奇心でできた人間です。

「えーん、返信くれてありがとう!本当に緊張しながら送ったから…」

さて、いつ本当の目的を告げてくるのか。

 

「実は、いま東京に来てる!」

そうして続いているメッセージは、かれこれ1ヶ月ちょっと。まだ彼女は、保険に入っているか?とか、すごくよい商品があるだとか、悩んでいることはないか?とか、すごいと評判の人を紹介したりだとかすることはありません。ただ、きょうも彼女とわたしの他愛のないメッセージがつづいています。