ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

好きなひと

今年の冬は、一歩一歩ふみしめるようにやってきました。山の木がゆっくり色を失って、高く青い空がぐっと近くまで雲をこさえて、でも雪はなかなかこなくて。かわりに、雨が降っていました。

 

ひたひた降る冬の雨は寒さをひときわに感じさせます。陽が落ちるとなおさらで、暗闇に見えないしずくが静かに着実に、水たまりへ円を描きます。頭も肩も気づいたらグッタリと水を吸って、大げさな咳払いをひとつ。冬の雨はサイアク。

 

冬のはじめに、町はずれのスーパーへ行きました。20時を過ぎたスーパーは、店員さんもお客さんもみんな少し背中が丸まっていて、わたしも胸を張って歩かなくてよい気がして好きです。でもその日は雨が降っていたので、車から降りるのを躊躇いました。20歩も歩けば自動ドアなのに、煌々とした明かりが眩しくて、ふうとため息をひとつ。

 

すると、スーパーの照明が届かない暗いところから、ロングスカートの女性がやってきました。

本屋さんで働く彼女は、ときおりコミュニティFMで本の朗読をしていました。フワフワのうさぎや、ちいさな男の子のおかあさんのようにやわらかくてやさしい彼女の声が好きでした。いつもは絵本を選ぶのにあるとき角田光代さんのエッセイを読んでいて、それがまた、長年の片想いに見切りをつけた話で、聞いたその日に本屋さんへ走ったのを覚えています。うさぎでもおかあさんでもなく、ましてや角田光代さんの旅物語でも子ども時代の話でもなくて、失恋する女性が思い出の街を凛と歩く物語を選んで読む彼女が、それまでに増して好きでした。

 

彼女は、スーパーの鮮明な明かりが届くところまで出てくると、サッと薄水色の傘を下ろしました。しゃらしゃらと滴をふるって、ロングスカートをスルリとひるがえして、自動ドアに吸いこまれていきました。

 

冬の雨はサイアク。

でも、彼女にとってはどうなのだろうと思いながら、やっと車を降りたのでした。

 

 

幾千の夜、昨日の月 (角川文庫)

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