4月のおわりに
憧れの街。
太陽を受けて光るビルの壁、
建物のあいだにぽっかりと浮かぶ木々のてっぺん、
それを見下ろすだけ高いところに立っている自分、
ざわざわと、人が物が動く音。
風が身体を通り抜けていくのを感じた瞬間に、自分は、ここに立つことを切に願ったのだと思い出す。
映画を見ていて、実体験がフラッシュバックすることがあります。その日は、主人公が憧れの都会を目の当たりにするシーン。世界が大きく開けて、キラキラと輝くような表現に、8年前の自分と重なりました。
わたしが街で暮らしはじめたころの家は、都心から地下鉄で3駅はなれた2階建てのアパートでした。表通りから1本はいった抜け道で、朝も夜も車が走る狭い道路、目の前には板金工場がありました。
都会らしい景色でも、心地よい風が抜けたわけでもなく、また車のエンジン音と板金工場の機械音で、清々しい感動はありませんでした。
そのぶん、大学へ通う道すがら、都心へ遊びに行く地下鉄のなか、飲み会の帰り道、毎日少しずつ、いま自分は学生時代18年間憧れた街にいるのだと知らされるようで、じわじわと胸の高鳴りを覚えました。周囲の人が日常をこなしてスイスイと追い越していくのに、わたしばっかり初めてで、その感動をすべて吸収したくて、きょろきょろと見回しながら歩きました。ビルの間をぬけてくる都会の風を感じては、目を閉じて少し深く息を吸い込むのです。
真っ暗な地下鉄にヒュンヒュンと音をさせて滑りこむ電車、
照り返しのひどいビル群の合間、
迷いなく歩く人の波、
そのなかで、目当ての人を物を見つけた時の喜び。
楽しかった。嬉しかった。4月でした。