ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

心ふるえる

はじめて手紙を書いたのは、小学校にあがってすぐでした。

卒園の直前に引越し、見知らぬマチ、初めましてだらけの小学校に入学しました。慣れ親しんだ友人がいない不安と新生活の期待がないまぜになって、毎日をようやくやりすごしていたときに綴ったのが、幼稚園のときの友だちに宛てた手紙でした。まだしっかり持つことのできないフラフラの鉛筆で覚えたての文字を連ね、家にあった紙の辞書を引きながら学校や本や漫画で得た言葉を、まさしく見様見真似に扱いました。学校のこと、友だちのこと、はまっていること、新年の挨拶、誕生日のお祝い。ときには、旅行のお土産や誕生日のプレゼントで封筒をパンパンにさせ、切手の料金不足で戻ってきたこともあります。

 

やりとりを重なるにつれ、どのような手紙がその人の心をふるわすか、考えるようになりました。ポストを開けたとき、封を切ったとき、便せんに目を通したとき、すっかり読み終えて便せんを封筒に戻すとき。その瞬間を想って、手紙をつくります。

 

封筒や便せんやペンの色は声のようにわたしの気持ちを伝えるでしょうし、手書きの文字は容姿のようにわたしの空気を感じさせるでしょう。文章は、浩大な言葉のなかから選び並べたわたしの想いの連鎖です。

 

先日、手紙を書きました。

大学時代の友だちの誕生日。昨年結婚した彼女へ、北海道の左上産のお米を送りました。ささやかな手紙を添えて、3種類3キロのお米。「もちあげてずっしり重たい」というのも、心ふるえる手紙のポイントです。

 

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