ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

おにぎりの遺伝子

三角形ににぎられたものが「おむすび」、形を問わないのが「おにぎり」だそうです。それならわたしは「おにぎり」が好き。

 

母がつくるおにぎりは、友だちのお弁当にはいっているどんなものとも違いました。三角形でもまんまるでも俵型でもなくて、手のひらサイズの海苔を2枚つかうほど大きくて、まんまるの腹を少しへこませたような、母の手に沿うような形。米ひと粒ひと粒を潰すことのないようやさしくにぎられたおにぎりはよっぽど脆くて、気をつけないとぼろりとくずれました。

「大きいの恥ずかしいから小さくして」とか、「こぼしちゃうからもっとぎゅっとにぎって」とか、いくら言っても母のおにぎりスタイルが変わることは無くて、高校に上がるころ、ついに「ごはんはおにぎりじゃなくてお弁当箱につめて」と、おにぎり禁止令をだしたのでした。

 

でも、母のつくるおにぎりが好きです。

社会人になって離れて暮らして、たまに実家に帰るとき。仕事終わりに5時間車を走らせ、家族がみんな寝付いたころに帰宅するわたしを、母は起きて待っていてくれて、食卓には晩のおかずの残りとおにぎりが用意されているのでした。片手で持つにはちょっと心もとなくて、ほかへ気をやると落ちてしまって、やさしい、やわらかい味のするおにぎり。わたしは、母のつくるおにぎりが好きです。

 

母方の祖母、おばあちゃんが、帰路につくわたしたちに「車のなかで食べなさい」とおにぎりを持たせてくれたことがありました。のりは1枚だけ、それもぐるんと3分の2をおおってしまうほど大きくて、まんまるの腹を少しへこませたような形に、両手で持つのに調度いいサイズのおにぎりが、ころころと袋のなかでおどっていました。それは母のつくるおにぎりにそっくりで、母がつくる以上に脆く崩れやすかったのを覚えています。おにぎりのにぎり方は、遺伝子レベル。車のなかで、笑いながら頬張りました。