ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

成り立ち

むかし、写生大会に参加しました。妹は絵を描くのが好きだったので、週末、母が写生大会に連れて行きました。わたしも一緒に行きました。母は、少し意外そうでした。当時わたしは、絵を描くのが嫌いだったのです。しょっちゅう漫画をよんでいたから頭の中に構図は浮かぶのだけれど、それをどのように描き出したらいいかわからず、いらいらさえしました。

 

写生大会。絵のうまい子たちから離れて、木の影に隠れるようにして座りました。ひとりで描いていると、審査員の先生が来ました。わたしは、さっと画用紙をめくりました。「下書きが思うように進まないのです」という顔をして、白の余白ばかりの画用紙が見えるように置きました。

きっと先生は、すぐにわかったでしょう。この子は絵が不得意だと。だって、お昼休憩を挟んで3時間半はそこに座っている子が、右端に2、3本の木を鉛筆書きしただけの画用紙を抱えているはずがありません。先生は、わたしの隣にしゃがみました。

「見てごらん、あの木」

わたしは、話しかけられたことすら恥ずかしくて、伏し目がちに指のさきを見ます。

「木ってね、土からすくっと立っている。見えているのはそれだけだ。でも、土の下には根っこがあって、それが縦横無尽にのびている」

わたしは、木を見つめました。3時間半、ずっと見つめていた木だけれど、もっと別なものに見えました。

「ほら、そうすると、土と木の接点とかはちょっと盛り上がったりしてさ。地中から養分を吸っているから、木肌は縦の模様だったり」

見えているもの、想像していることを描き出そうと躍起になっていたわたしに、見えているものの構造を分解して画用紙の上で組み立てる先生の言葉が、ストンと落ちてきました。

「物事にはみんな成り立ちがある。そう考えると、ちょっと面白いよね」

先生の言葉はいまでも、絵を描くとき、人と話すとき、物事を考えるとき、生活のあちこちで思い出されます。