ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

暮らしていかねば

すごく良い映画でした。

2時間、映画館のふかふかの椅子に身体を沈めて、そのあいだにずるずると、作品に取り込まれていくようでした。あと2回見たいと思いました。あと2回見れば、取り込まれてしまったこの作品のどこかに、わたしなりの答えが見つけられると思いました。

けれど、北海道の左上に帰らねばなりません。シネマコンプレックスの朝1番のスクリーンは、地方在住者にとって高いハードルです。大人しく、片道2時間のバスに乗りこみました。それでも脳は、映画のことを考えています。

 

主人公はあそこで、どのように感じ考えたのだろう。

彼の出した答えは、何だったのだろう。

そもそも、答えを出せたのだろうか。

あの表現は、ギミックだったのか。

だとするなら、ラストシーンのあの表現は。

 

そのまま、1週間を過ごしています。

朝起きたとき、シャワーを浴びつつ、ごはんを口に運んで、移動の運転中、仕事の合間にも、映画のことが頭をよぎるのです。それは、幸せな反芻でした。

けれど、現実は静かに、わたしを侵食します。

 

あの仕事、急がなきゃ。

このあとの会議、面倒だな。

あの打ち合わせ、上手くまとまるだろうか。

いつ、冬支度をしよう。

 

暮らしのなかのどうしようもないことが押し寄せて、映画に支配されていた脳を塗りかえます。幸せな余韻が生活のなかで摩耗して、かえ難いと感じた感動が薄れていきます。それは、決して許せる侵食ではありません。映画作品によって得た心持ちを、どうにかして留めておきたいと願うけれど、わたしたちは暮らしのなかにあるのです。朝目を覚まし、食事をし、身なりを整え、仕事をして、人と関わらねばなりません。

わたしたちは、暮らしていかねばなりません。