ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

年下の子らと接するとき

好きなアーティストが、10代のYouTuberとインスタライブをしていました。YouTuberの定期配信を偶然彼が見かけたようで、コメントをつけるのはYouTuberのファンばかり。それは、彼がそっけないとか冷たいとか、YouTuberに宛てた応援メッセージ。たしかに彼とYouTuberの会話は、どこか噛みあわずちぐはぐでした。

わたしはその様子に、ここ数年で感じた「年下の子らと接するときのこと」を思い出しました。

 

アーティストの彼は、10代から音楽活動に一生懸命で、小さなライブハウスの下積み時代を経て最近メディアに多く露出するようになった、人気バンドのボーカルです。彼が書く、この歌詞を10代の男の子がと驚くほどの表現力に惹かれていました。きっと彼の思考は、手をのばしても届かない深いところを流れているんだと感心したものです。

 

かくいうわたしも、わたし自身の思考は、随分深いところを流れていると自負していました。思春期の青少年が思うこととは、到底他人にはかり知れません。それでも、みんながこの思考を巡らせて、滾る衝動を秘めているのだと信じていました。

 

だから、10代や20歳前後の子らを見ると、つい自分の物差しで物事を進めてしまいます。会話にしろ会議にしろ約束事にしろ、「これくらい考えているよね」「これくらい想像つくでしょう」といった前提をつくりあげて話をします。それは、相手に対する過度な期待でした。

期待は、裏切られたときの反動がよほど大きく感じられます。疲弊して、相手に強く当たってしまいます。でも相手にしてみれば、なぜそのような態度をとられるのか皆目見当がつきません。勝手な期待をかけて、勝手に失望して気分を害しているのはわたしなのです。

ここ数年、年下の子らと接して得た学びです。その様子が、35歳アーティストの彼と、19歳YouTuberのあの子と重なりました。

 

それに。

きっと10代のわたしだって、25歳のわたしと並んで会話したら、わたしをひどく失望させるでしょう。わたしが考えているより、10代のわたしは何も考えていないのです。