ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

美しい日々

日々は美しい。

その気持ちを忘れずに生きたいものです。

たとえば、朝目が覚めたときに隣に眠る恋人の顔が美しいとか、仕事の合間に耳にする人々の会話が興味深いとか、行きつけのバーで繰り広げられる人間模様がドラマティックであるとか。

そうした日々の美しさは、ともすれば、大きな出来事を前に見失いがちです。たとえば、大切なものを失ったとき。日々は急に色を失い、生きる気力を奪います。どうしていいかわからない、どうにでもなってしまえと思う矢先に手を差し伸べてくるのは、やはり、日々なのです。偶然の出会いが彩りを与え、また前を向かせてくれます。わたしは、そんな日々を大切に生きたいと思います。

 

映画を見ました。日々に忙殺されるなかで、ひさしぶりの映画です。忙殺、といっても何をこなしているわけでもなくて、ただやるべきことをやっているだけて思った以上に疲弊してしまい、自由な時間をすべて睡眠に費やすような日々。見ようと思っていたら眠気に負け、返却期限に迫られて見た映画。何事もない男の日々を描いた作品でした。起承転結の起伏の少ない物語は、疲弊した身体の重たい瞼を、さらに重たくさせました。でも、見ました。最後まで見ました。彼の目で、彼の街を歩いた気持ちになりました。彼の日々を見た後、わたしの日々も、少しだけ青みを帯びたように思いました。からっ風に吹かれる街、やわらかくも寂しげな陽光、流れる滝はしぶきをあげて、美しく輪郭を際立たせました。それらを受けて綴られる言葉は、彼の詩と同様に、軽快で、重厚で、ぶきっちょで、美しくなるようでした。

日々は美しい。

その気持ちを忘れずに生きたいものです。