ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

絵本を卒業した日

きょうは「絵本の日」だそう。

そういえば、わたしはいつ絵本を卒業したのでしょう。

絵本から、文字の羅列する小説を読むようになったのでしょう。

 

実家の本棚は、本棚というより食器棚のようで、両開きの扉にガラスがはまって絵本の背表紙がよく見えました。おとうさんやおかあさんの気が向いた夜、そのなかからわたしと妹で1冊選んで、読んでもらいます。おとうさんのときは、面白可笑しい遊び絵本。おかあさんの時は、文字が多い物語絵本。ぱたんというしっかりした表紙、指ではじかれるたびにぺんと高く鳴くページ、ちちちという背。絵本ならではの音です。

わたしは当時、同じ本棚の上段に並ぶおとうさんの漫画コレクションを読んでいて、眠る前、3つ下の妹とともに読んでもらう絵本は、絵も文章もすっかり記憶していました。けれど、その時間が好きでした。

 

いつしか、手に余るサイズで、ページいっぱいに描かれ、そっと添えられる文章の絵本では物足りなくなっていました。世界には、綺麗に装丁された上製本や、細部まで描き込まれた漫画本、美しい表現が散りばめられた小説本が数多くあります。おとうさんおかあさんは、夜眠る前に絵本を読んでくれなくなり、1人部屋が与えられました。1人で読む本は、絵本ではありません。

 

けれど、いまにして思えば。

そうなるよりもずっと前から、物語を味わうという意味で絵本では物足りませんでした。だって、うちにある絵本はすでに頭のなかにあるのですから。おとうさんやおかあさんを挟んで妹と潜り込むベッドのなかで、ただ、読みあげられる声色や、ページを繰る音、わあと歓声を上げる妹とともにある時間を愛おしく感じていたのでした。

それは、いまでも同じです。

そうすると、わたしはまだ、絵本を卒業できていません。