甘やかされる
どうにもダメなかんじです。
せっかく開けたピアスが塞がりだしたころから、なんだか歯車を掛け違えたようにコロコロとダメなことが続いています。1万いくら払って病院で開けてもらったピアス穴はきっかり1ヶ月で塞がり、期待いっぱいで買った2千円のセカンドピアスはおじゃん、4ヶ月前に買った炭酸製造機は壊れて修理へ、仕事では知らぬ間に作業を積み上げられ、おまけに、最寄りのTSUTAYAさんは閉店のお知らせ。どうにもダメというほかありません。
こういうときは、母に電話をします。
「しょうがないね、あなたには必要のないものだったんだよ」
母は、絶妙な言葉選びでわたしの人生に起こるあれこれを整理整頓します。それがあまりに鮮やかで美しいので、形容のし難いどうにもダメなことに遭遇すると、いつも母に聞いてもらうのでした。
「仕事で先輩がさ」
「それ、ちゃんと言ってやったのかい」
「買って半年もしない炭酸製造機が」
「ちょっと、新しいものに手を出しすぎなんじゃない」
「開けて1ヶ月の1万以上するピアスが」
「そんなものなくたって、あなたは大丈夫ってこと」
母はいつも、わたしの味方です。
理不尽な扱いを受けたと言ったら、こちらが吃驚するほど憤慨するし、どうしようもなく不幸なことは、どうしようもなくポジティブな変換します。根拠も効果もわからないけれど、確実に、わたしは母の言葉で元気になります。
高校を卒業してからというもの、母と顔を合わすことは年に5、6回。でも、電話をします。たまにコミュニケーションをとらないと、母が拗ねてしまうから。ある日突然、実家で飼っているネコの写真が送られてきて、それが「たまには連絡よこしなさい」の合図です。でもそれは、母がわたしの日々の鬱憤を聞いてくれる、ガス抜きチャンスでもあるのです。実家を離れて9年ほど。まだまだ、母に甘やかされています。