ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

大切な、

友だちがいます。

気兼ねなく趣味のはなしをする友だちとか、ふいにお酒を飲むのに集まる友だちとか、難しい言葉で滔々と語るわたしに同じく返す友だちとか、思い出した時に連絡して昨日も会っていたみたいに笑いあう友だちとか。

みんな大切な友だちで、でもそれぞれにタイプが違って、出会ったタイミングも小学生から社会人までさまざまなので、もしわたしが冠婚葬祭の主人公になったとき、彼ら彼女らが集まったらさぞ愉快だろうと思います。共通点はないけれど、「わたし」というところでつながった彼ら彼女らは、きっと、どこかからりと笑いあえる要素を持ちあわせているでしょう。愉快な冠婚葬祭、楽しみ。

 

さて、先日は「不安の最中からすくいあげてくれる友だち」と話をしました。わたしは、数ある不安の処理方法のなかでも「誰かに相談する」というのが極端に苦手です。相談って、「のる」のはいっこうに構わないのだけれど「のってもらう」のはどうにもそわそわして落ち着かないのです。この話は相手にとって不愉快ではないかとか、弱みを見せるのがこわいとか、アドバイスをもらっても納得がいかないとか。けれど彼女にいたっては、「のる」とか「のってもらう」なんて概念なしに話ができます。

しかもわたしは先述のような、弱みを隠し強く見せたがる偏屈な性格なのだけれど、彼女にはそんなことすべてお見通し。そのうえで的確な分析をしてアドバイスをくれるので、納得せざるを得ません。

彼女と話をすると、いま自分が、不安の最中にいることに気付きます。そして、すくいあげられます。

 

大切な、友だちがいます。