ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

みんなが

帰りたくない。

仕事終わり、車に乗り込みながら思いました。1日働いた身体は疲れを訴えているし、一人暮らしの部屋はいつもどおりわたしを迎えるでしょう。帰宅を億劫に思う明確な理由ありません。ただ、帰りたくないと思いました。

 

それは、少しずつ緩んできた冬の寒さのせいかもしれません。風はまだまだ強く冷たいけれど、凍って白くなったフロントガラスを溶かすために、煖房をガンガンにいれて歯を鳴らしながら待っていなければならないほど寒い季節は過ぎ去りました。

それは、チラついていた星のせいかもしれません。冬のあいだは重たい雲に覆われて、ついぞ顔を見せることのなかった星が、チラチラとのぞくようになりました。まだ遠い空にあるその明かりは、澄んだ空気に美しく主張しています。

それは、どこかの家から漂ってきた夕餉のにおいかもしれません。強い風と雪のなかでひたすら白に沈む景色に、においを感じる余裕はありません。半年ぶりの「帰り道のにおい」でした。

それは、会社の玄関扉をでたところで「おつかれさまです」と、同じビルに勤務する他社の人に会釈されたせいかもしれません。まだ衣替えには早すぎる冬物のコートを着込んで、前をぴったりとあわせ家路を歩いていきました。面識のないその人の、その足取りは軽やかでした。

 

帰りたくないからといってどこへ行けるわけもなく、結局、少しだけ帰路を遠まわりしました。いつもは通らない交差点、繁華街、裏通り。冬のあいだは見かけなかった人の姿があって、ランニングウェアだったり、友人同士肩を並べていたり、たばこをふかしていたり。やっぱりみんな、どこか帰りたくない夜だったのかもしれません。