ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

怖いなら最後まで見なさい

わたしがまだ小学生のころ、テレビアニメには時折、目を疑うようなホラー回がありました。夏のある日、夕飯時、お決まりのアニメ番組。いつもどおりに見ていると、「なにかおかしい…」と気づきます。不穏なストーリー、全体的に暗い絵、見知ったキャラクターたちの恐怖にゆがんだ顔はトラウマレベル。耐えきれずにテレビを消そうとリモコンに手を伸ばすと、母が言いました。

「怖いなら最後まで見なさい」

怖い怖いと思いながら途中でやめてしまえば、その先どうなるんだろうと推測して、でも答えはでないので、もやもやと恐怖を引きずることになる。経緯や道理を知ってしまえば、なんだそういうことかと恐怖が和らぐでしょう。知るって、大切よ。そう教えてくれました。

 

先日、ホラー映画観賞会をしました。恐ろしいホラー映画も、みんなで見れば怖くない。敬遠していたホラーの名作をチョイス。さぞ怖かろうと身構えながら再生ボタンを押しました。けれど、あれ。ホラー映画って、こんなかんじだったっけ。

 

むかしはもっと、耐え難い恐怖を感じていた気がします。たまたま開いてしまったホラー漫画の1ページや、サスペンスムービーの凄惨な1シーン、生物の教科書の人体図だって恐怖の対象だったのに、そういえば、最近はまったく平気です。

 

様々なものを見聞きしてきました。ホラー漫画もサスペンスムービーもフィクションだし、人体図はわたしの身体のこと。それより恐ろしいことが日常には潜んでいて、もしかしたらすでに巻き込まれているかもしれません。小学生の頃よりわたしは、様々なことを知っています。でもそれは、知らなくても良かったこと。

 

知らないからこそ感じる恐怖の克服とともに、知ってしまったことに対する物悲しさに似た感慨を感じながら、ホラー映画を眺めていました。