ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

そんなもの

気乗りのしない飲み会に行きます。

誘われたので「行きます」と2つ返事すると、後日、ちょっぴり苦手な人も来ることがわかりました。かなり年上の同性で、発言力があって、古風な考え方をする人でした。おそらく、わたしのする事や考える事の少なくとも3割は、まったく理解されないでしょう。それは、彼女の理解力が足りないとか、わたしの言動が突飛だとかいうことではなくて、ただ単純に、彼女とわたしでは生きてきた世界が違い、性質として相容れないということです。その彼女を交えた飲み会。

「そこまで嫌なら行かなければいいじゃない」と仰るかもしれません。でも、行かない選択肢は、そもそもわたしにありません。

 

誘われればどこへでも行きます。

友だちが1人もいない場所でも、苦手な人がいる場所でも、最初こそ気後れしますが当日にはしゃんとして向かいます。なぜなら「もしかしたら楽しいかもしれない」という一縷の望みを捨て切れないからです。

 

わたしが「苦手」と思っている場所は、果たして、何をもって「苦手」なのだろうと考えます。

誰ひとり友だちがおらず落ち着かない。でも、もしかしたら気の合う新しい友だちが見つかるかもしれない。

苦手な人がいるから気が進まない。でも、もしかしたら興味深い一面を見て意気投合するかもしれない。

それはきっと、わたしの人生をいまより豊かにしてくれるでしょう。

 

人はこれを、楽観主義と呼ぶのでしょうか。危機管理能力が低いと笑うでしょうか。まあ、そうなのでしょう。でも、その後に起こるかもしれない悲劇を考えてもなお、もしかしたら起こりうる希望を期待せずにはおれないのです。

 

とはいえ、怖いもの見たさの好奇心100パーセントというところもあります。そんなものです。