ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

故郷

「ふるさとはどうよ」

半年ぶりに会った父は言いました。

 

仕事やら何やらが忙しくて、あとまあ、実家に帰るのに後ろめたい気持ちもなきにしもあらずで、迎えたお盆。4時間ほどかかる実家を目指して、ひたすら車を走らせます。

いつもはそれほどでもないのに、随分と混んでいる道。飲み物を買おうと立ち寄ったコンビニにも、用足しに車を停めた道の駅にも人の列。そして、 おじいちゃんおばあちゃん、小さな子どもや、服装髪型の目立つ若い子を含めた家族連れのグループが目につきました。

 

人混みと渋滞に辟易しながらたどりついた実家。

おかえり、疲れたでしょう。

おお、お前の好きなアレあるぞ。

居間の真ん中で手足を伸ばして、実家の飼い犬にベロベロと顔を舐められながら、そういえば、と思います。

いつもはひとっこ一人通らないあの道に、家族連れが歩いていました。影すら見ることのない道に、ぞろぞろと車の列ができていました。

わたしがいつものように通る道は今日、いつものようではありませんでした。みんなが家族とともに、お盆という時間を過ごしていました。

すべての人に「故郷」があるのです。

お墓参りをする、家族がいる、生まれ育った故郷が、すれ違うすべての人、それぞれにあるのです。どんなに慌ただしく日々を過ごしていても、どんなに環境を違えた場所で暮らしていても、すべての人に帰るべき場所があるのです。わたしもそうであるように。

 

「ふるさとはどうよ」

まあ、そう言うなら、故郷も悪くないと思います。