ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

都市

ひさしぶりに、都市へ。

ウイルス禍で最小限に控えていた都市への移動ですが、元来わたしは、洋服を買う場所も髪を切る所も、飲みに行って馬鹿笑いをする友だちだって都市にあるのでした。

 

車で、南へ。

いつもはバスで行くけれど、密を懸念して1人車を走らせます。スマホのマップは、車に付属したカーナビなら絶対案内しないような、畑の真ん中の一本道や、すれ違うのもやっとな細道を案内します。無事に用事を終わらせて、夕暮れに染まる都市のなか、抜け道みたいな川沿いを走っていたときのことです。

 

右手は河川敷になっていて、小学生くらいの子どもたちが野球をしています。川向こうでは大学生らしい青年がゴロリと横になっているのが見えました。

左手は国道。この川沿いはいわば抜け道で、本線である国道では、びゅんびゅんと車が走ります。横断歩道では多くのひとが信号待ちをして、それが青になると、みな一様に歩みを進め、川にかかる橋を渡っていきました。

その様を、ぐるりと取り囲むように高いビルが見下ろします。何階建てでしょう、縦長のビルにはひとつひとつ窓がついていて、カーテンが引かれたり窓が開いていたり、ベランダには簾があったりプランターがあったり洗濯物が干されていたり。

都市には、ひとの暮らしがありました。

 

わたしが暮らす北海道の左上にももちろん住むひとがあって、暮らしを垣間見る瞬間があります。けれど、こんなにも間近に、多くのひとが暮らしている様を目の当たりにすることはありません。わたしがもし、あの信号待ちをしているひとの中に入り込んでも、誰も気に留めないでしょう。わたしも彼らのうちの1人であり、都市の一部になれる気がしました。

でも。

いくら溢れかえるひとの中に埋もれたとて、いくら都市の一部になったとて、この、どこか胸がスカスカする感覚は埋めることができないのでしょう。それが都市というものです。