ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

強くなったり弱くなったりしながら

はじめてその歌に出会ったとき、夏の夜にふく風のようだと思いました。蒸し暑く肌にまとわりつく夜の気配、どこかからふく風は細く弱いけれど、それでも、動きにあわせて襟足を引くような不快感を連れ去るには十分でした。そんな夏の夜を思い出して、風が頬を撫でる気さえしたものです。でも、それだけでした。

 

つぎにその歌を聞いたとき、涙が頬を伝って、止まらなくなりました。夏はとっくに終わっていて、わたしは仕事帰り、コートも脱がずに電気ストーブの赤い明かりを背負っていました。長いイントロ。以前感じた夏の気配はそのままに、わたしの心のざらざらしたところに触れるようでした。

How could we be…?

Why can't we be…?

なぜかオンになっていた字幕。以前には気にも留めなかった英歌詞が、確かな重みで訴えます。

 

なんでこんな目にあわなきゃいけないんだ?

なんでもっと違う未来にできなかったんだ?

 

それはまさに、その日その夜のわたしの自問自答。

一晩中起きて朝陽を待ったなら、何か変わるでしょうか。手当たり次第隣人と握手をかわせば、涙は止まるのでしょうか。決してそうではないと思います。何せいまわたしは、悲しみのどん底にいるのです。そんなことでこの悲しみから掬い上げられたなら、わたしはそもそも、どん底の底というものを知らずにいられたのです。

何光年の星たちも僕らに届きやしないよ

はるか未来なんか今はいらない

何百回と何万回

名前も聞かずに愛し合いたい

涙でなんか流すまいこの想い

長い長い後奏のあとに、涙は止まっていました。

 


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