ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

慈悲深い人間

「あたしにはね、幸せの限界があるの」

大好きな映画の登場人物が、泣いた後のような喉にかかる声で言ったのを覚えています。朝方の青白い光が差し込むベッドルーム、毒虫や毒魚が見守る水槽に囲まれて、彼女は細い腕を持ち上げました。幸せに溢れるこの世界で、簡単に手に入る幸せに、ありがたくてありがたくて壊れてしまう、と。ずいぶん慈悲深い考えがあるものだと感心しました。

 

わたしは、この世界が幸せに溢れているなんて思いません。幸せの数だけ不幸せがあって、しかも、それらに遭遇する確率は万人に共通でないと思います。幸せの多い人、不幸せの多い人がいて、彼らは等しく今日を生きています。いえ、何も自分が不幸せな人間だとは思いません。思いませんけれど、でもやっぱり、限界を感じるまで幸せを享受する人間でもないと思うのです。

 

「そんな簡単に幸せが手に入ったら、あたし壊れるから。だから、せめてお金払って買うのが楽」

幸せに代償があるのでしょうか。幸せと不幸せが等しく約束されていない時点で、良い思いをしたことに代償を払わせられるのはおかしな話です。でも、幸せを享受することで破滅するというのであれば、それを避けるために代償を払わなければいけない気がします。ただ、そんなことに思い至ることもなく幸せを貪る人だっているのです。なんだかまったく、平等でありません。

 

「これは、明日食べるんです」

職場の方に頂いた、見るからに美味しいスープ。わたしがあまりに「美味しそう、美味しそう」と言うので、見かねた先輩がくださいました。突然のプレゼント。でもその日わたしはお弁当を持参していました。せっかくなら、スープをメインに、大切に頂きたいと思い、職場の小さな冷蔵庫にしまいました。

「美味しいものをあんまりいっぺんに摂取すると、死んじゃうんで」

「死んじゃうの?」

それを聞いた先輩は、笑いました。何だか、大好きな映画のあの登場人物の言葉がよぎりました。