ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

最悪の日より、幸せの次の日のほうが

朝。まだみんなが起きだす前に、細い道を選んで歩きます。キンと冷えた冬の朝に出歩く人影はなくて、細い道に車通りはありません。ただ、わたしのブーツの靴音だけが快活に響いていました。太陽の上がりきっていない路地裏はどこか青っぽくぼんやりとして、アスファルトには白く霜が降りています。それを、わたしの歩みに合わせるように少しずつ少しずつ、太陽が黄色に染めていくのでした。

「ただいまあ」

昨日ぶりの我が家。何も変わったところなんてないはずなのに、しんと静まりかえった空気が火照った顔に心地よく触れます。室温は、昨日の朝と同じ11度。昨日なんて、布団から這い出してすぐ部屋の寒さに震えながらストーブをつけましたが、今日はどうでしょう。ほこほこと身体が温いのは、歩いてきたからかそれとも。とにかく、ここ最近で最も率直に「よかった」夜でした。

 

本当はよくないのでしょう。自分を見失わず、自分で選択して、自分の足で立つべきなのでしょう。昨夜はわたしの「逃げ」でした。でも、ここのところいつもぐずぐずとそれが叶わず、どこか身体の一部を引きずるように暮らしていました。最悪だ、最悪だと感じながらも、そこから脱する体力もなく、選択が億劫でした。だから今朝、こうして寒いなかを自分の足で歩いて帰って来られたことは「よかった」のです。

 

つまり、最悪の日より、よかった次の日、今日のような日の方が、よっぽど惨めで、よっぽど悲しく、よっぽど跡形もなく消えてしまいたくなるのでした。何も考えずに安心のさなかで、あたたかい布団に包まれて眠る夜は幸せです。けれど幸せは代償をともなって、わたしはそれを償い続けることができません。幸せの存在を知りながら、幸せは続かないということを知っています。だから最悪の日より、幸せの次の日である今日の方が、惨めで、悲しく、跡形もなく消えてしまいたくなりました。