ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

明後日の朝

明日は節分。ひとり暮らしをはじめて10年になりますが、豆まきをしたのは最初の1年目くらい。内廊下のアパートに暮らしていて、「鬼は外」をした翌朝、廊下の片隅にしっかり豆が転がっており、その日の帰りしな自分で拾い片付けた思い出があります。翌年からは、していません。

 

実家は一軒家で、田舎の住宅地にありました。スーパーやコンビニからはちょっと遠いけれど、大声をだしても周囲に迷惑がかからないのは良かったところです。節分では、大いに「鬼は外、福は内」をしました。母が鬼のお面をかぶって、ドタバタと家中を駆けまわり、おしまいに玄関を開け放して腹の底から「鬼は外」と叫ぶのです。向かいの玄関先まで届くのではないかというほど大きく振りかぶって豆を投げ、満足して、歳の数だけ豆菓子を頬張りました。

 

翌朝。妹と2人、通学します。太陽を反射してキラキラする雪が眩しくて俯きながら歩いていると、一軒の家の前で、ちらほら豆が転がっていました。まっしろの雪に半分埋もれるようにして、顔を覗かせる豆。よく見ると、2軒先、その隣、ひとつとばしてその隣の家の前にも、豆が散らばっています。どの家も、昨夜豆まきをしたのでしょう。

お父さん、お母さんが鬼役をしたのでしょうか。

あの家はおばあちゃんのひとり暮らしだから、静かな豆まきだったでしょう。

あちらの家の前には、ずいぶんな量の豆。

わたしたちのように、楽しかったのかもしれません。

 

節分の翌日、家々の前では人々の暮らしが垣間見えました。なんて人が住んでいて、どんな家族構成で、どういう暮らしをおくっているのかは知りません。でも、そこには確かに人がいて、それぞれがそれぞれの暮らしを営んでいると思うと、じんわりと胸があたたかくなるような、そっと心の隙間がうまるような心地がしました。

 

ひとり暮らしをはじめて10年。今わたしは、豆まきをしません。でも、明後日の朝は歩いて通勤しようと思います。