ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

旅が変わる

「気になっているのは、長崎の五島列島、和歌山の南紀白浜、兵庫の淡路島」

彼女が言いました。わたしは少し考えて、どこでもいいな、と思いました。

 

学生時代から、旅が好きでした。月に1度、講義もバイトもない週末に、バスや電車の公共交通交通機関を乗り継いで遠くへ行きます。1人きりの旅。友だちがいないわけではないけれど、一人旅への憧れと、そしてちょっぴりの、他人と行動するのが面倒だという気持ちがあったのだと思います。見知らぬ土地、見知らぬ景色、初めましての人。そこで気持ちをリセットして、何か、自分でもわからないけれど、経験なり思い出なり、後に残る何かを得てくることを、自分に課していました。

ゼミの教授と上手くいかないこととか、バイトの店長が気分屋なこととか、恋愛がヘタクソなこととか、暮らしのなかで処理しきれなかったモヤモヤを一掃するように、見知らぬ土地におりたって、見知らぬ景色のなかで深呼吸をして、初めましての人とどうにもならないことを話して。そうすることで、わたしはわたしの日々に折り合いをつけるのでした。わたしにとって旅は、趣味であり、生きるために欠かせないものでした。

 

でも、社会人になってからは、わたしの旅がどこか変わりました。休みとあらば、旅に出ようか家で映画を見ようか。お財布と天候と相談して、それでも、学生時代のように気軽に、泊まりがけの旅に出ることがなくなりました。宿泊するなら、友だちと予定をあわせて、2泊3泊するような、ちょっと大それた旅に出ます。

 

どこへ行こうか。

何をしようか。

誰と会おうか。

学生時代のわたしは、旅に対して、意味を見出すのに必死でした。なけなしのお金をかけて、時間を捻出して、1人きりで出掛ける旅ですから、何か意味がないとそれを許せなかったのです。

でも、いまは違います。

どこへ行っても、何をしようとも、誰と会おうとも良いと思います。

わたしの旅が、どこか変わりました。

「どこでもいいよ」

彼女と、友だちと一緒なら、どこへ行こうとも良いと思えるのでした。