ほとほとの煮物

お口にあうかどうか

魚の骨

「そんなことあったっけ?」

母は笑って言うけれど、わたしにとってその出来事は、あまりに衝撃的でした。

 

幼少期、たぶん、6、7歳のころ。母、妹と3人で食卓を囲んでいました。夕飯のメニューは、白米に味噌汁、青菜と卵を炒めたものと、紅鮭。母はいつも、わたしたちが食べる魚を、身から骨と皮を外して食べやすいように解してくれました。わたしと妹はそれを口に運びながら、小学校や幼稚園であったことを話します。すると突然、妹が目に涙をいっぱいにためて「痛い…」と弱々しく言うのです。母はすぐに妹を洗面所へ連れていきました。洗面所は狭いので、後ろを追いかけて覗いても、母と妹が何をしているかは見えません。ただ、わあわあという妹の悲痛な泣き声と、母の厳しく切羽詰まった声を聞いていました。妹の喉に、魚の骨が刺さったのでした。

 

わたしはその夜のことを、鮮明に覚えています。誰に話すわけでもない、恐ろしい記憶。魚が食卓に並ぶたび、喉奥がツンと痛むような感覚がしたし、妹は神経質に魚を砕き、わたしもそれに倣って慎重に食べました。

何かのきっかけでそんな思い出が蘇り、たまたま、運転する車の助手席に座っていた母に「実は」と口を開くと、母は「そんなこともあったかもしれない」と笑います。わたしの記憶では、そのあとなかなか抜けない魚の骨に大変苦戦し、妹は夜間病院のお世話になりました。癖がついてしまったのか、そのあとも2、3度おなじことを繰り返し、妹は給食のサバの味噌煮さえ「骨があるから食べられない」と残すようになりました。事態は深刻でした。

しかし母は「そんなに大ごとだったかねえ」と懐かしむように言います。わたしは少しムキになって「そんな事があったからわたしは慎重に魚を食べるようになったし、だからこそ、ただの1度も魚の骨が喉に刺さったことはない」と主張しました。

「そうなの、ふうん」

母は相槌をうちました。その顔は、夕暮れの陽があたって、どこかやわらかく見えました。