今年さいしょのセミ
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
ポール・ゴーギャン作絵画作品のタイトルですが、妙に詩的で共感性の高い言葉です。人間ならば、父と母がいて、母の胎内で芽生えた生命が産道を通りこの世に生まれ落ちて、生きて、土に還っていくでしょう。もっと精神的な話をすれば、何を思い、考え、成していくのか。人間とはどうあるべきかという、哲学的な解釈もできます。これは「人間」という共通言語を有し、考える生命体にあっての話で、言語を解することのできない動物たちにとってだって、生命を宿し生まれる過程があって、思うところがあって、成すべきことを成して…なんてことを、トイレで考えていました。
別に何を考えるでもなく、トイレで用を足していたのです。我が家のトイレは北向きで、直接日光がさしません。太陽の残り物みたいな明かりが室内を照らして、チチチと鳴く鳥の声が聞こえます。
すると。
ミミミミミ
耳障りな鳴き声。
向こうの山よりもう少しこちらの方から、空気をぎざぎざに裂くように聞こえました
セミ。エゾハルゼミです。春の終わりから初夏にかけて鳴くセミで、珍しいものではありませんが、昨日はたしかに静かでした。今、まさにこの瞬間に、今年のセミの第一声を聞いたということです。
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
ミミミミミ
心なしか若いその声の主は、木の中に生み落とされて父も母も知らず、1年後土に潜り、じっと5年を過ごしてようやく地表に現れ、太陽のもと数週間をめいっぱいに鳴いて過ごすのです。
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
そんなことを、トイレで考えました。